2011年5月21日土曜日

無知の罪について語る

 福島原発の事故があって今まで、ようやく原発にかかわる色々な問題を知って、反原発という考えに至った。この2カ月間にて本当に何十年分も考えされられたような気がする。情報が無く先が見えないもどかしさ。次々と明らかになってくる誤魔化しや問題だらけの構図に対する驚き。巨大な誤魔化しと罪深さによる怒り。そしてこれだけの悲劇と危機が続く中でも、いっこうに良い方向へと進まない事態への絶望感。そして無知だった自分に対する情けなさ。まさに色々な想いや考えが自分の中を通過していったように感じる。

 タイトルは「無知の罪」とした。これはずっと昔から、度々頭の中をよぎる疑問だった。そして今は特にこの言葉が頭から離れない。だから結論のないままに、いまの私の考えを記してみたいと思う。どこから初めてよいか、どこで止めていいかも解らない話なので、始まりから話して終わりが来れば止める。


●東電社員のブログが炎上、東電は悪くない?
 参考として挙げた記事で似たようなものもたくさんあった。これらはもう十分に炎上しただろうし、私が追加で東電社員に罵倒を浴びせる必要もない。それでもここで取り上げたのは、そもそも論点がずれていると、ずっと感じていたからだ。

 まず私自身の考えを述べれば、東電の上層部についてはこの事故に対して「戦犯」ともいうべき罪はあると考えている。だが今の福島原発の現地で格闘している人達(社員、下請け多数かもしれないが)に対しては、この状況でよくぞ爆発を食い止めているというだけでも、そして逃げずに立ち止まっているだけだとしても、十分に尊敬や敬意を払うに値する事をしているのだと考えている。だが、いくら現場の働きが現在尊いからといっても、東電が犯してきた罪には変わりはないだろう。

 そして問題となったブログの社員は、まさに無知の罪なのか、想像力の無さともいうべき事だと思ってきた。それについて述べたい。だいたい炎上記事になった時点でブログは閉鎖されているので、本人の社員に語りかける事はできない。だが、もしも可能であれば私は次のように言いたかった。

<東電社員への問いかけ>
 私たちは東電社員の全てに対して等しく罪にあるとは思っていない。だが東電として犯してきた罪は途方もなく大きい。あなた(東電社員)は加害者であると同時に、被害者の一人であるのだろう。もしも福島事故が沈静できずに被害が広がり、そしてあなたの親しい人や家族が亡くなったとしたらどう考えるだろう。

 それを仕方がないとなっとくできるだろうか? もしも東電社長があるいは会長でもよいが、それがあなたのそばにやってきて、次のように語ったらどう思うだろう。

 「ごめんごめん、仕方なかったんだよ。別に悪気無かったしね」

 「東電がさぼっていたみたいに色々いわれるけど、全てが国で決めたことだからこっちは問題ないよ」

 「手抜きみたいに言われるけど、ずっと続いてきた事だから、私たちがとりわけ悪い事をしたわけではないのだよ」

 「多くの人間を被爆させたけど、こっちは国や官僚の言う通りやってきたから、別に取立てて悪く言われるいわれもないよ」

 あなたは、こういった言葉を聞いて納得できるだろうか? それでも東電は悪くないと思えるだろうか? 


 もしも可能ならば、私はこう聞きたかった。この東電社員のように人達をどう呼べばいいのだろうか? 悪人や罪人と呼ぶのは違うような気がする。ただし彼らは圧倒的に
「無知であり」そして「想像力にかけている」とは言えるだろう。


●風評被害防止として福島産の野菜が学校給食に使われる件
 参考にした記事以外にもたくさんの記事を見た。とくに福島県内の学校でこのような事が行われているらしい。はっきり言っておくが、これは風評被害ではなく安全デマの問題であり、政府の情報隠ぺいが問題の本質なのだ。

 だが学校関係者は国や県の指示どおりだとして、生徒に給食をたべさせているという。これは「無知」なのだろうか? それもあるだろう。情報が錯綜して、本当の危険度などはなかなか解りはしない。今後もかわらないだろう。

 「私は言われたとおりにやりました」

 そういった言葉だけで終わるのだろうか? 常にそれしか我々は語ることができないのだろうか? 

 自分の意見も意思もなく、ただ言われたとおりにするだけだ。それは、はたして人と言えるのか「人のかたちをした物」ではないのか?

 これらは「無知」であ、「無関心の罪」というべきものではないのかと思う。そしてそれを認めてしまうのが、「想像力の不足」ではないのかと考える。何故ならば彼らはおそらく自分の行為の重さを理解できてないのだろうからだ。


●映画「ザジ」より、「沈黙は同意と同じだ」
 この映画は解釈が難しいので私はコメントしない。なかでも次の2つのセリフがずっと頭に残っている。

 「沈黙は同意と同じだ」

 「ゆっくりと悪くなったものは、ゆっくりとしか良くならない」

 福島原発事故がおこるまでの経緯、原発行政や原子力産業というもの。それらを知るにほどに、「沈黙は同意と同じだ」という言葉が痛い。私はずっと原発は必要悪程度にしか思ってなかったし反論もいままでしなかった。まさに沈黙で同意を示してきた。 

 そして無知ゆえに、こういった事がらがまかり通るのを見過ごしてきた。すくなくとも反論を挙げた事は無かった。私自身は別に善人でもないし、善人になろうなどと考えた事もないが、だとしても、知らず知らずのうちに、こういった巨大な闇が育ってゆくのを見過ごしてきた事については正直ショックだった。


●無知は罪なのか?
 「無知は罪ではない」

 あるひとはそう言うだろう。

 だが「無知であることが」これほどの災害や悲劇を引き起こすのならば、既に目の当たりにしてしまった今では・・・私にはもう言えない。

 「無知は罪である」

 「無関心は認めたことと同じだ」

 そして我々はもう目を閉じることができなくなった。

 「みんながやっているから」

 「ずっとこうしてきたから」

 こういった答えを今まで何回も聞いた。実社会でも何度かあったし、現在のマスメディアでは特にこういうサインを読み取る。そして至る所にあるだろう。どうしてそれらを見過ごしてきたのだろう。たいていは「臆病風」に吹かれたからだ。あるいは面倒だったからというのも理由かもしれない。

 しかしそういった自分の周りの出来事に対する延長線上に、こういった悲劇がみえるのならば、そられを忘れる事は難しい。これが近代社会というものなのかもしれない。縦横無尽に世界は繋がってしまった。私にまったく関係のないと言える事は少なくなってしまった。いいとか悪いではなく、認める認めないではなく、これが現実だ。もう無知という言い訳は通用しなくなった。


●終わりに
 ここからどうすれば良いのか、私には正直わからない。だが少なくとも迷わぬように、自分の考えを記しておく。 


追伸:
・映画「東京原発」を通してみたけど面白かった。いまの知識だと余裕で映画の内容が楽しめる。多くの人にみてもらいたい。この映画といまの福島原発の状況を調べてもらえれば、現在進行中の多くの課題が理解できるだろう。


<参考>
・元東京電力社員の女性「報道に腹が立つ。なぜ東電が叩かれる? 東電は悪くない」

・横浜市が給食に福島産を使用。何でそんなに子供を被曝させたいんだ! | もにぽブログ (福島原発問題・放射線物質・放射能・放射線量 全国 予測 グラフ)

・映画「ザジ」

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