2011年6月4日土曜日

この世は理屈では動かない

●はじめに
 ここしばらく原発事故についてのブログやTweetをしてきた。しかし現実は改善される見込みもなく、時間と共に私自身が実情がさらに解らなくなってきた。当初は政府やマスコミ+αに対しての、批判記事のようなものを書いてきたが、それもだんだんマンネリだと感じるようになった。考えが袋小路にさしかかり、もうこの問題について考えるのを止めようかと思う事もあった。

 2011/06/02のTweetはその事について思いつくままにだらだらと書いたものだ。直感的に書いた文章だが、後からみると幾つかは議論すべきテーマを含んでいるように思う。そこで今回はちょっと視点を変えて、下記のテーマについて考えをまとめてみる事にした。
  • この世は理屈では動かない、人は必ずしも合理的な選択をしない
  • 集団は時には、最も愚かな選択をする
 今の日本で多く目にする上記の現実は何を意味するのか? 民主主義というのは、暗黙のうちに「各自はそれぞれ合理的な行動を取る」という前提の上に成り立つ。だが現実世界(今)では、まさにこの前提が崩れた状況となっている。この事について今回は考えてみた。


●合理的ではない事例
 まず私が合理的ではないと考える具体的な事例について記載する。個々については内容もレベルも経緯も異なる。もっと詳細をキャラクターにまで還元すれば、なんらかのもっと具体的な理由があるかもしれない。だがおそらく全てが理由で説明できないだろうと思う。それらを記載する。

1)放射能被害を隠ぺいし、サボタージュを続ける内閣と官僚
 彼らの行動をすべて利権であると単純に説明できないと私は考えている。本人は概ね老人だからあとと30年程度現状が保てればよいだろう。(そもそも現状を保てるという甘い見通しが合理的でないと思うが) だが彼らにも子孫や家族がいるはずだ。この汚染状況を放置して、この国を壊滅的な状況へ追い込むのは、ちょっと長期的に考えれば合理的だとはいえない。
 もしも彼らが密かに財産を海外へ移転し、家族も全て海外へと逃がしているならば全て理屈は通る。だが全員がそこまで考えたうえで行動をしているとは思えない。

2)隠ぺいに加担するマスメディア
 彼らは既得権益を守ろうと行動しているのだろう。だがはっきり言って、マスメディア(特にTVと新聞)などは本来衰退メディアである。放置していても本来は、徐々に影響力を失って、やがては「デッドメディア」になってゆくだろう。本来ならば彼らも新しい方策を見つけて乗り換えるべきである。死に体の電力利権に頼っている場合ではないだろう。

3)リアル風評被害「現実逃避へのスケープゴート 得体のしれない原発風評差別」の事例
 私は過去に「風評被害と情報隠ぺいの境に」という記事を書いたが、これはリンクに示しているが本当の風評被害(というか妄想)の事例である。どの程度、同様の問題が現実に起こっているのかは解らない。だが幾つかTweetやブログでも見かけた事はあるので、少なくもないのだろう。都民が福島県民に文句を言うのはまったく意味がない。これらは単に愚かしいという説明だけで十分なのだろうか。

4)逃げない被災民
 私は福島県民は全て他の地域(いっそ九州ぐらい)へ逃げて欲しいと思っている。金銭問題で逃げられない人を別にして、本当は逃げられるはずなのに逃げない人も多いのではないか。現状を分析すれば福島県にとどまるメリットは無いと私は考える。

 上記は全て最近のニュースを元に例を挙げてみた。だがもしも自分の身の回りを見渡せば、不合理な決断や行動を強いる会社や上司など、至る所で同様の事例を見つけるだろう。


●どうして合理的に行動しないのか
 以前にジョージ・ソロスの著書(ソロスの講義録)を読んだ事がある。ソロスは金融工学は間違っており科学とは呼べない代物と批判しているが、理由は「そもそも各自が合理的に行動して取引が行われる」という前提など現実に成立しないという点だった。これはまさに私が考えていたのと同じ指摘である。

 そして最近面白い記事を見つけたのが「意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果」である。詳細はリンクを見て貰えばよいが、結論をまとめると次のようになる。
  • A)最初に他者の意見を教えたなかった集団は、各自銘々が達した結論を束ねると、概ね正しかった。
  • B)最初に他者の意見を教えた集団は、    各自銘々が達した結論を束ねると、A)に比べて正解が低かった。
 ようするに、自分で考える人達の集まりは良い結論を出す。しかし、誰かの意見を聞いて自分主体で考えない集まりは間違う事が多いという事だ。とてもシンプルな答えで、これを実験で証明したというのはとても興味深い事だ。とても当たり前の事だが、でも現実には忘れ去られているのではないだろうか。

 そして合わせて思い出すのは「第二次大戦時の日本軍の行動」である。現在でも悪名高い大本営発表だが、インパール作戦、大戦艦へのこだりだの、後から考えれば不合理の塊である。この時代の戦記を読むと、愚かさに、それも特にエリート層の愚かさに腹がたつ。だが最近の政府や官僚の行動は、この時代とオーバーラップして見える時もある。とても正気とは思えないと。

 旧日本軍が愚かだった理由、それは私の頭の中にずっと整理できずに引っかかってきた。だが先ほどの実験結果の記事はとてもシンプルな答えをくれた。結局一番重要なのは、それぞれが銘々に自分で考えて結論を出すことなのだ。

 日本が世界に比べても、特に愚かに見える理由は、各自が銘々に考えるという習慣があまりないからなのだろう。同一民族という幻想、マニュアル社会、暗記中心の教育、本音と建前、和という言葉で誤魔化された見せかけの協調など。

 「君子は和して同せず、小人は同じて和せず」古人はうまくいったものだ。

 また色々と各種の記事や自身の経験から言うと、

 「ほとんどの人間は、わけも解らず現状維持をしたがる」というのがある。

 仕事関係で時々こういった人物をみかける。なんだか解らないが反対するリーダーや、常にネガティブ思考であり得ない反論するリーダなどだ。こういった人に共通するのは、「行動するリスク」は想像できるのに、「行動しないリスク」は想像できてないことだ。
(この件は過去に「想像力の欠如、リーダーには想像力が必要」として書いたが)


●これからについて
 「集団の知恵」についてもう少し考えれば、TVや受信は一方通行のメディアなので、これしか情報ソースとして持ってない人は、まさにB)の正解率が低いグループになる可能性が高いことだ。ネットは情報が錯綜し、混乱させられるので誤りが多そうな気がするが、双方向メディアなのでTV等に比べれば、まだ正しい可能性に辿り着く可能性が高いといえる。

 単純な解としては、「もっとより多くの人と活発に議論すべし」という事なのだろう。だが元々の日本人という文化傾向を見ると、時間はかかりそうだ。

 原発事故が起こった時、これで世の中は大きく変わらざるを得ないと思った。だが実際にはなかなか変わりはしない。まだまだ時間がかかるのだろう。これからも考え続けないといけないのだろう。

 ちょっと本題からずれるが、少し前に「放射能汚染の現実を超えて/小出裕章」という本を読んだ。実は小出氏については私はその行動や考えは尊敬する部分があると思っていが、同時にいくつか理解できない部分もあった。
  • 過去のブログで見たが、発言を見てアメリカに対する強い批判
  • 内部被爆については、あまり語ってない
  • 参考人としての発言で、現在よりも歴史を中心に語った点
 私は小出氏が内部被爆や食品汚染についてはあまり語りたがらないように見えて、前から少し不思議に思っていた。小出氏は物理畑の人だから、あまり医学的な部分は詳しくないのだろうかとも思った。だが本を読んで理由が良く解った。内容はチェルノブィリについてだが、その中で小出氏は普通の野菜に含まれる放射線を減らす方法はないかと、いろいろ試した内容が載っている。野菜を洗う、煮るそして水を絞るなど・・・。だが決定的な解決法は無かった。

 故に小出氏は食品汚染については、知っていたからあまり語らなかったのだろう。歴史を中心に語ったのも、原子力を止める以外に解決する手段がほとんどない事を知っていたからなのだと解った。この本を読んで、私も改めて闇の深さを知る想いだった。

 被害は急速に広まり、解決は急がないといけない。だが、解決に至る道のりは長くなりそうだ。


<参考:6/2のTweetメモ>
  • この国は分裂している、言論で見れば、①TV+主要メディア、②ネットメディア。この視点で言えば、いまだにTVしか信用しない情報を入手しないように人がいるのは残念なことだ。
  • この国は分裂している、スタンスで見れば、①原子力利権グループ、②情報をもって批判的なグループ、③洗脳された人、④無関心で疎外されたグループ。①はヒエラルキーの上位だ。だが自分の住む世界を汚染すらする。①の行動には長期的には合理性は無い。
  • 私は始めは合理性という視点で原子力廃止を考えようとしたが、現実を知ればしるほど推進派は合理的に考えてないのではないかと思うようになった。彼らに理を説く事は無意味なのではと考えるようになった。
  • では理を無視して彼らは何を基準に行動するのか? 惰性か、メンツか、盲信なのか? 彼らは正気ではなく、カルトな連中と同じレベルなのだろうか。ある意味にたようなものなのかもしれない。
  • では正気でない連中とどうやって議論すべきなのか? はたして議論は可能なのか? 過去の行動様式をただ反復するような者たち、私にはもはや彼らが、ただ人の形をしただけの存在にみえる。
  • カルトな連中をどうすればよいのか? ①強制的に排除するしかないのか、②もっと強力に洗脳をしなおす事を覚悟すべきなのか? 飛躍した論理であることは承知の上だが、この不毛な事態を止めるには、何が必要なのか? 人の形をした者達と、語ることが可能なのかという事すら疑念をを感じている。
  • 原子力というものに対して、それぞれ異なる夢を持ったまま議論は平行線をたどる。①豊かさや力という幻想、②崖っぷちでつま先立ちを続けているという世界。
  • 民主主義の前提は、所詮は各自が合理的に行動するという仮定を含んでいるのだろう。だが惰性で流される世界は合理にはほど遠い。盲信や狂気としか説明がつかない。
  • 与謝野はもっとも解りやすい神がかり的な、原子力の妄想に浸っているのだろう。これは仮に世界を破滅されるとしても直前まで変わらないだろう。こういった狂人を相手に、いかに原子力という悪夢をやめさせるか。どうやって狂人に対抗すべきか、それを考えなければいけない。
<参考>
・意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果

・権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験

・現実逃避へのスケープゴート 得体のしれない原発風評差別

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