2011年10月8日土曜日

未来を浪費する社会

 ウォール街デモのニュースもあって、最近とみに「そもそも現在の社会って何なの?」的な疑問について考えるようになった。ヨーロッパでは金融危機が広がり、日本国にも巨額な赤字の問題があり、そして米国では失業の問題と金融界に対する不満がリンクしてデモが広がっている。世界的に不安定感が増す中で、投機マネーが行き場無くあちこちを巡回しているのが、まるで目に見えるようだ。
 しかしメディアも、経済評論家や政治評論家の話はどうしても空しく感じるだけで、なんだか本質からすこし外れているように感じる。それはおそらく彼らは、従来のロジックや仕組みを前提に話をしようとしているからだろう。だがここ数年顕著に加速する世界や社会の歪みは、そもそもの前提をもう一回考え直すところから始める必要性を示しているように思う。


「虚業と実業について」

 農業や工業に代表される生産を行う産業が実業(製産する業務)とすれば、金融界やヘッジファンドに代表される投機の世界は虚業(非製産で実体的な物質を伴わない)というべきだろう。しかし世界はいまや虚業の方が力を持ち、実業の方が圧迫して隅に追いやられている状態となっている。そして虚業が絶好調に達した状態がバブルであり、いまの世界金融危機はこのバブルがはじけた、もしくは弾ける前夜という見方もできる。そして虚業だがそれは実業を伴い、バブルが弾けた後には世界的にどんな大混乱が起きるか、だれもが想像すらできないでいる。

 では虚業とは何か? 私は次のように定義する。

「虚業とは信用と未来を通貨価値に換算し取引可能とする事である」
 
 通貨であったり、手形であったり、もろもろの無形価値をもって社会を成り立たせるのは、人間の文化であり文明の本質である。我々の世界(文明)を支えているのは、物質よりもむしろ信用などの無形価値である。それ自体は本来は別に間違っていなかったし、これも世界を成り立たせる一つの方法であったはずだった。
 だがヘッジファンドによる金融取引は、本来の金融理念である資産を投資して富を循環させる役目を超えて、ただ富を循環させて加速するだけのメタ取引のようになり、世界を振り回すようになった。例えばもっとも解りやすい代表例は「先物取引」であり、これはいうなれば未来を担保に商売をしているのである。
 つまり現在社会に対して厳し見方をするならば、我々は未来を担保に自転車操業をつづけながら、ようやく社会を維持する事ができていると言えるだろう。


「持続可能な社会とは?」

 私が書いている事は直感に基づいたもので飛躍しすぎている可能性があるが、現在の世界でおこるさまざまな歪みは、単に金融の問題、アメリカの問題、先進国の問題、テクノロジーの問題といったカテゴリではなく、そもそも「我々が築いてきた文化は持続可能なものではなかった」というもっと根本的な問題が現れてきたように感じる。
 20世紀になる前、産業革命がおこる前は、世界はゆっくりとだけ成長し大きく発展する事も交替する事もなく、人口もそれほど増えなかったし、テクノロジーなどの大幅な飛躍もなかった時代である。だが今にして思えば、この近代以前の時代は、別に未来を担保にする必要もなく、ある意味堅実な文化社会であったと言えるだろう。少なくとも持続可能であり、近代以前の社会形態であれば数万年とかの単位でも持続する事はできるのかもしれない。
 しかし近代以降は目覚ましい進歩と飛躍があったものの、視点をかえれば、所詮は未来を担保に浪費を繰り返すだけのモデルであり、そもそも持続可能な社会や文化モデルではなかったのではないかと思う。つまり本当のバブルは近代化から始まり、いままで続いていたのではないかということだ。膨れ上がった未来の信用(つまり将来にわたって継続成長しつづけるという幻想)そのものが、いわば文明バブルという形で近代を形作ってきたとは言えないか?

 つまり私が冒頭に記載したメディアで鳴らされる警鐘になんだかシックリとこない理由は、目の前に立ちふさがる沢山の課題だけではなく、そろそろ本来の文明・文化・システムなどのもっと根本的な部分や前提事項を考え直す時期にきたのではないかと思うようになったからだ。


「現代の課題」

 核兵器が誕生した際に誰かが「これで人類は自殺する手段を手に入れた」といった。そして3.11に起きた福島原発事故はそれが戦争だけではなく、直近である数十年〜の単位で人類が自滅してゆく可能性を示したものだと思う。自民党の石破茂政調会長は、核抑止の為に原子力を継続するべきであるという議論をしていたが、これはむしろ滑稽である。原子力施設は攻撃側からみてもっとも解りやすいウィークポイントであり、ミサイル一発で大被害を起こすのは必至である。むしろ「映画)博士の異常な愛情/スタンリー・キューブリック」に登場した、自滅兵器に原発は相当する。直接的な核の破壊力より、むしろ日本の54基の原発を爆破、もしくは死の灰をまきちらせば、まさに映画に登場した自滅兵器に相当する役割を示す事ができるだろう。しかも戦争や大事故などのアクシデント的なイベントを排除したとしても、核廃棄物による汚染や処理の問題は未来に対して致命的である。私はこの核の問題が、やはり持続可能な社会を妨げるもっとも大きな問題だと思われる。

 そして経済について言えば、経済成長をし続けないと破綻する社会や文明。これはまさにバブルであり、持続可能とはいえない社会の証明である。最近の経済危機などのニュースを見ていて、そもそもこんなあやふやで持続可能に疑問を要するような事に、真剣に知恵やエネルギーを費やしてきたのかと考えると、なんだか世界は進歩してきたのかどうかが疑わしく感じる。

 ゆえに、まずは前提となる事をいったん見直してみてはどうだろう。

   * 成長し続けないと持続できないモデルは欠陥モデルではないのか? 
   * 未来に対して借金するようなモデルは廃止するべきではないのか?
   * 無い物ねだりより、現在あるものを維持する方法を考えないといけないのではないか? 
<参考>
・ウォール街デモ、4週間目に突入 全米に拡大
 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE2EAE2E1948DE2EAE3E2E0E2E3E39494EAE2E2E2
・自分探しを始めたアメリカはどこに向かうのか
 http://www.videonews.com/on-demand/541550/002088.php
・石破茂氏 「核の潜在的抑止力」維持のため原発続けるべき
 http://www.news-postseven.com/archives/20110921_31301.html

0 件のコメント:

コメントを投稿