2013年5月3日金曜日

「COCOON(コクーン)/今日マチ子」を読んで


 ふと読んでみた今日マチ子のCOCOONが頭から離れなくなってしまった。仕方がないので、久しぶりにブログを書く事にした。

 「COCOON」とは繭のことで、この作品(漫画)は第二次大戦末期のひめゆりの塔をモチーフに、ごく普通の少女が残酷な戦争の現場で出会った出来事について書かれている。絵はどちらかというと、素朴な絵で残酷な場面でもさらったした感じなのだが、この素朴さゆえに、よけいに読み終わったあとでこの物語が頭から離れなくなった。

 ちなみに、いちおう誤解が無いように述べておくと、私は朝鮮半島の緊張や、ちょうど話題になった靖国や過去の戦争犯罪といった今風の流れでこの本を手に取ったのではない。何か読みたいなと思って本屋で物色していた際に、どこかで聞いたようなタイトルだなと思って手にとっただけだ。
 別にイデオロギーでもヒューマニズムでもなんでもない、ただの偶然としてこの作品を読んだ。

 そして読み終わってから、何とも言えないような気分になった。悲しみでも怒りでもなく、ただ脱力するような、あるいは切ないような、さみしいような気分だった。実際に私はこの気持ちはなんなのだろうと自問自答を繰り返しもした。

 この作品の最大の特徴は、きわめて少女の主観的な視点で、できごとや場面での感情が淡々と描き続けられていることだ。そこには第三者的な視点、つまり批判や評論、総括的なものはなく、読者はただ夢の中で遭遇した場面のように、目の前で起きる出来事を受け入れるしかない。
 そして主人公の少女(約70年前)の素朴な思考や感覚で語られる世界は、とても当たり前の事として残酷な現実が描かれている。悪夢のような世界を読者は追体験する。だからこそだろう、この作品はさらりと読めるが、読んだ後で何とも言えない気持ちとなった。
 
 ちなみに、これから読もうと考える人もいると思うので言っておく。これは良い作品であり、好き嫌いに関わらずいつか読んでみる価値はあるだろう。そして読み終わったあとで、やり場のない感情をただ受け入れれば良い。

 この作品がそうであったように、私はよくあるような「戦争の悲劇」や「残酷や悲惨さ」といった話をして、戦争や過去の善し悪しを語りはしない。この複雑な想いを、そんな簡単な言葉で片付けたくはない。急いで答えを求めるようなものでもない。
 だから私は、あえてここでは戦争の何なのだとヒューマニズム的な事は書きはしない。そんな安っぽいセリフは使いたくない。

 私はただ、この何とも言えない感情に戸惑い、そして同様の想いを感じさせてくれた他の作品(漫画)を思い出した。「EDEN/遠藤浩輝」という作品で、この物語はストーリや設定も良いのだけれども、それよりも「ただただ残酷な現実が何の解決もされずに続いてゆく」そこが好きだった。
 無理に、あるいは安易に答えを出すのではなく、悩み苦しみながらも世界は無情に動いてゆく、そこには善悪といった説明ではなく、ただただ「あるがままに」世界はあってそれを受け入れてゆく、そこが良い。
 でなくても、我々は普段、安易な答えを求めすぎているからだ。そうではなく、言葉で説明できるような答えは無く、悩み苦しみ、それゆえに成長の可能性が感じられる、そう言った物語である。

 ああそうだ、つまり言いたかったのは私は答えが聞きたいわけではなく、ただありのままを知りたいという事だったのかもしれない・・・。

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