2013年12月23日月曜日

尊厳をなくした社会

 このブログでは度々、TPPをきっかけとしてグローバル化に対する反対論などを書いてきた。ただしこのテーマについては、何度も書きながらもどこか問題をうまく説明できていないような思いがあった。それが最近のVIDEO NEWSで宮台真司の会話で何度か登場した「尊厳」という言葉を聞いて、この言葉を使えばもう少しうまく説明できるような気がして、久しぶりにブログを更新してみる事にした。

 私がグローバル化に対して反対をしている最大の理由と根拠は1点であり、それは「多様性を失った生態系は滅ぶしかない」という生物学的な視点からの指摘だ。こういう考えに至った経緯は、3.11原発事故及びその後の社会の動きを見て、多くの疑問が頭によぎるようになったからである。

 政府が今まで頑張って進めてきたエネルギー政策というものは、結局は原発をどんどん作り続ける程度のもので、結局はだれも真面目に取り組んでなかった事が明らかになった。過去のしがらみと目先の利益で、発電業界の利権をまもるだけに終始し、結果的に致命的な問題を起こしてしまった。しかもその反省もほとんどしていないように見える。

 だが私がもっとも愕然としたのは「我々のような一般人(国民)の声を代弁する者がどこにも居なく無くなっていた」という事である。これは3.11の事故から、どうしても原発問題(現在進行中の問題も含めて)について考えたり、調べたりする必要があり、その時に痛感したからだ。
 資本家(発電業界)は政治家・官僚・マスコミ・学界を豊富な資金で実質ほとんど懐柔済みであり、マスコミを通じて一般人はほとんど洗脳(無知)に近い状態にある。さらに言えば、政治家や官僚を通じて司法や検察も資本家の意思で歪められていると思われる形跡がある。

 これはTPPの問題についても同じような構造である。グローバル資本(企業)は商売をしやすいようにする為に、ついには各国の文化や社会についても介入をし始め、これも発電利権と同様にマスコミや政治家などを懐柔すみなので、ずるずるとまずい方向に進みだしている。

 私が前に述べた「多様性を失った生態系は滅ぶしかない」と考えるようになった理由は、原発やTPPの問題を通じて、我々が暮らす社会は結局は全ての問題を先送りしながら目先の問題に終始するだけのもので、到底「継続可能な社会(文明)」ではないなと考えるようになったからである。そして継続可能なモデルとは何かと考えた時に、私には現在の自然界というモデルしか思いつかなかったからだ。

 現在ある自然界というのは数100万単位の年数を経て進化してきた最も安定したモデルである。このモデルを支えるのは、我々が普通にビジネスで目指すようなスピードと効率ではなく、ゆっくりとした変化と多様性である。このモデルから、私は継続可能なモデルにもっとも重要なのは多様性を担保する事だろうと考えた。
 これは現在のコンピュータシステムで言えばインターネットのような分散型システムであり、過去にコンピュータシステムがメインフレーム中心の中央集権的なモデルだったのが、柔軟さと安定性を求めてインターネットに代表されるような妥当な進化の方向性と言えるだろう。
 そして文化的に言えば、過去の王朝や独裁体制が徐々に廃れていって、民主主義のような分散型でありまた、ゆっくりと変わってゆく構造を選んだのとも同じものだとも読み取れる。
 ゆえに私は、大きな目でみた場合のモデルとして必ず必要になるのは「多様性」だと考えている。

 そこで冒頭に書いた「尊厳」というキーワードがどう関係するのかと言えば、「多様性」を支えるのがまさに「尊厳」ではないかと思いついたからだ。

 「大(だい)の虫を生かして小の虫を殺す」というのは古くからあることわざで、私達はビジネスの現場、もしくは家庭のなかでも、そして国家や会社という枠組みの中でも、少数者の声を採用せずに物事を進めてゆかなければならない時がある。それは必ずどこかで必要な事でもあるのだが、少数者を無視する事が良い=妥当で効率化などという考え方は、多くの誤りを産み出してしまう。
 それは短期的には良い方法に見えても、長期的に見た場合には幾つもある可能性を放棄して硬直した結果で衰退へと向かう道でもあるからだ。生物学の視点では「適応しすぎた種は滅ぶ」という言い方が昔からあったが、まさに効率化を最大で最優先にした組織や文化はゆえに滅ぶしかなくなるのだと思う。

 そして少数者(マイノリティ)をどう扱うかという為に必要となるのが「尊厳」というキーワードである。私達一人一人には尊厳がある。私の家族や文化、ひいては所属する会社や国家にだって、それぞれの尊厳がある。そう考える以外には、先ほどまで何度も述べてきた「多様性」を支える事ができない。
 おそらくは現在もっとも廃れて、忘れ去られているのは「尊厳」というキーワードだろう。実際に私も長い間、忘れていたような気がする。そして「尊厳」を最も著しく毀損しようとしているのが「グローバル化」である。

 例えば、「貴方が居なくなっても仕事のかわりは誰でもできる」「貴国と取引しなくても他国と取引するので問題ない」「単価があがるようならば他国へ製産ラインを移す」これらの言葉は個々の尊厳を考慮しておらず、この世のあらゆる価値は金銭にて代替え可能又は評価可能であるという前提にたったものだ。
 
 金銭にて統一された単純な狭い価値である為に、こうやって作られた世界や文化は多様性を持つ事はできない。やがてはコカコーラ・マックが世界を被い尽くすように、均質で平凡で、エントロピーの終焉のような未来を作り出すだろう。(それまでに世界が破綻しなければという事になるが)

 そもそもTPPとは何だ、自分たちの文化で自分たちが選択したものを、なぜ企業家の為に変える必要がある。 どうして自分たちが暮らす自分たちの国の事を、自分で決められなくなるのだ。そういった狭い価値にて凝り固まった文化は、やがては硬直化して衰退するしかないだろう。少なくとも、つまらない世の中にしかならないと思う。故に私は、これからの時代は個々の尊厳というものを、どうやって維持するか、守るかが重要なテーマになると考えている。

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