2014年7月7日月曜日

信頼の価値と、不審のコスト

 今回のテーマは、「信頼」というものはどれだけ価値があって、むしろ「信頼」が無い事に対して、この社会はどれだけコストを支払っているかという話である。ちょっと大きなテーマで掴みどころがないように思えるが、こんな事を考える発端となったのは、知人(A氏)との何気ない会話からだった。

 A氏は年金をもらっている老人だが、年金以外に収入がなく、マンションに一人で暮らしている。この前に私はA氏のマンションで食事をしていた際に、年金以外に何か副収入でも入る事を始めたらどうかという話題になった。
 その時にA氏が、マンションの空き部屋を、例えば海外から留学や働きにきている外人に貸し出せたら良いのにという話になった。でも最終的には、実際に行うとなると難しいだろうという結論になった。理由は、見ず知らずの他人を住ませた場合に、盗難であったら破壊であったり等といったトラブルを想定しないといけないからだ。例えば親戚や古くからの友人とかならば成立するかもしれない、しかし面識のない他人では到底無理だ。つまりは「信頼」がないと出来ない事だという話になった。

 そう言った話をしていて、思い出したのが、政府がやっている年金や少子化の対策についてである。長年政府は「年金」「少子化」について細々とした色々な対策(やる気があるのか、ごまかしているだけか微妙だが)をしているが、ずっと的外れな事をしているという気がしてならなかった事だ。
 どこに違和感を感じていたかというと、私はこの2つの問題の根本にあるのは「信頼」の問題だと思っていたからだ。つまるところ、人々は現在の政府の姿をみて将来に不安/不審を感じていて、5年後・10年後にちゃんと仕事があるのか、生活できるのかといった事をどこかで疑っているという事だ。
 未来に不安があれば子どもを作りたいとは思わないだろう。もっとも解りやすい例は年金で、将来貰えないとおもっているから、なかなか若者は払おうとはしない。それでますます資金不足になり、さらに不審をまねくという負の連鎖となっている。本来政治に求められていたのは社会に対する信頼の回復であるが、どうみても政権担当者はそんな事を考えているような素振りが見られない。

 そこでふと考えたのが、はたして「信頼のコスト」とはどの程度の物だろうかという疑問だった。しかしこれは量るのが難しい問題である。ゆえに、「完璧に近い信頼がある社会」というものがもしあったらという事について想像をしてみた。具体的には次のような社会だ。

<完璧に近い信頼がある社会>
・腐敗が少なく、民主的なプロセスで法治が実現されており、アンフェアな事例があまりない。
・経済的には成熟しており、急上昇/急降下の可能性が少ない。
・企業が社会的な責任を理解して運営されている。
・地域コミュニティがしっかりしていて、互助の関係が成立している。
・個人のモラルが高く、犯罪が少ない。

 もしも上記のような社会が存在したとしたら、どれだけ現在の社会的で日常的に行われている無駄なコストが無くなるだろうかという事を考えてみた。

<減ると思われるコスト>
・官僚/政府による無駄な事業コスト、例)利権団体へのバラマキ事業など
・セキュリティにかかるコスト、警察や犯罪捜査、刑務所及び関連法制に関わるコスト
・目先の利益優先によって産み出した公害等のリカバリコスト、例)原発事故の除染コストとか
・コミュニティによって支える事で対応可能なコスト、例)老人介護、教育関連など
・腐敗がなくスピーディに進めば少ない全般的な政治コスト

 こうして考えると、改めて現在社会というものは、ほとんどが「不審」に対する対策費で成立しているというのが良くわかる。順等に法的や理性的に考えて物事が進めば、スピーディかつフェアであるような運用ができるのだが、現実的には利害対立で足をひっぱりあい、さらには足をひっぱりあったり不正を監視する為の方や組織をつくってなどという形で、さらに追加コストがどんどん発生してゆく。
 詐欺などの悪さをしないように法律をつくり、監視して、本来は簡単ですぐ済む仕事がどんどん大きくなって無駄なコストを産み出してゆく。例えば、食品衛生についても、もしも各自の品質が信頼できるならば手続きが大幅に簡易化されてコストが下がるのではないだろうか。

 ざっくり考えると、もしも上記に挙げたような相互の信頼がある社会ならば、現在の社会の運用コストの7割ぐらいが不要になりそうな気がする。それだけ信頼というものは価値があって、喪失した場合の代償を払わなければならないという事ではないだろうか。
 しかし近年の政治や経済連などの、いかにも目先だけで誤摩化してやりすごそうとしているような政策は、ますまずお互いの不審を増長させ、多くのコストを産み出しそうな気がする。

 おそらく上記のような比較はシュミレーションが可能で理論的にも十分に証明できると思う。かと言って、上記のような理想世界に近づけるのは困難だろう。個々の人間や組織のモラルを向上させる事はとても難しく、一朝一夕にできる事ではないからだ。しかし、それでも、こういった事を頭にイメージできていれば、もう少しはましなやり方をしようという気になるのではないかなと、期待してこの文章を書いている。

<補足:とある営業マンの話>
 私の友人で最近失業した営業マンがいた製造会社は、数年前から不審でずっと苦しんでいたそうである。本来ならば全社員一致して対策を考えて頑張ればいいのだが、その会社では「技術部」は責任を営業が仕事を取ってこれないのが原因だといい、「営業部」は仕事をとっても品質が悪くてリピートオーダーが無いのが原因だとお互いに言い合って、まともに協力が行われなかった。それでついには会社を畳むか、もうっちょとだけ大幅に減給してつづけるかという所まで追いつめられ、友人はその事業縮小もあって失業した。
 その話を聞いて正直なところ、まるでドラマのような「なんて愚かな連中だ」と思ったのだが、案外こんな組織は多いのかもしれない。この国の政府の姿とも重なる所が多いしね・・・。

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