2014年7月31日木曜日

「佐世保高1同級生殺害事件」についての所感

 正直言ってこの事件には特に興味もなく、またよく分からない点も多い。だからもともとは記事を書く気はなかったのだけども、この事件に関するマスコミや各種の反応があまりにも、噛み合ってないような違和感を感じてどうしようもなく、後に色んな情報で印象が上書きされるために、あえて少ない情報時点での私の所感を書いておくことにした。


<事件報道に関する違和感>
この記事を書く気になった原因である、事件報道に関している違和感についてまず説明する。まず全般として感じるのは、どうもニュース情報(新聞社、2ちゃんとかの掲示板なども含め)てデマ情報が多いような気がしてならないことである。一時は掲示板上で殺人中の書き込みがあったとかいうのもあったが、それはデマらしいという話になっている。それに犯人に対しても、容姿端麗だの頭脳明晰だの文武両道だの、事件に直接関係なさそうな余計な情報が多すぎる。うまく説明できないが、他にも疑問を感じた理由はあると思うのだが、私なりの乱暴な結論をいうと「信頼できる情報がない」というのが現状だと思っている。

これは一般的な刑事事件なので、あえて情報をかく乱している、または警察(検察?)がわざとミスリードになるような誘導をしているとは考えにくいのだが、なんかちょっと変な気がしてしょうがない。だから最初に述べたように、私はこの事件についてよく分からない。判断するだけの情報がないと考えている。

ようするに事件の詳細ではなく、かってに犯人の印象についてのデマゴーグだけが、どんどん増殖しているだけなのだ。逆に、むしろ事件当日の時系列でみた情報などといった、本当に事件を示す情報はまだない。だから現時点での解は不明であるとなるべきだが、既に犯罪心理学だの家庭の事情だのといったおかしな推測が飛び交っている。

最近読んだ「なめらかな社会とその敵」という本のテーマに「複雑なものをありのままに見ることはできないか」というのがあったのを思い出したが、いまの事件報道に対する現象は、複雑でわけわかんないので、勝手に簡単に解釈して締める事にしました・・・的なものである。だから正直言ってイラッとくるし、読む気もあまりしない。


<事件へのコメント>
かと言って、何にも事件に対しる事を書かないのもつまらないので、ちょっと気になった点だけを「超推論(あてずっぽう)」でコメントしておく。犯人は殺した相手をまるで解剖するかのように切り刻んだ、もしくは昔から解剖に興味を示していたといったような話をよく聞くが、仮にそれが事実だとするならば、私はその行動にこのような解釈を割り当てる。

解剖とは秘密を暴くことである。本来は血にまみれたような内臓を美しく装った皮膚や衣装をはぎ取る行為と解釈できる。これは虚構を暴くとも解釈できるし、不確かな命がどこから生まれているのかを解き明かそうという試みとも読み取れる。

この行為だけを聞くと、なんとなく犯人は虚構に満ちて信じられなくなった世界を、自分の手で暴き出そうとしたのかな・・・。話だけ聞くと、私にはそんな風に思えた。

だから言いたかったのは、安易に印象操作されずに、もしも事件について考えるならbが、あくまでもありのままを考えて欲しいという事である。


<余談:酒鬼薔薇事件を思い出した>
これらの報道をみながら、過去に酒鬼薔薇事件について書いたことがあるのを思い出した。当時は私は事件に興味を惹かれて、犯人の書いた脅迫文をよんだのだが、あまりにもニュース報道で受ける印象とは違っていて驚いた。ニュース報道だと犯人は怪物かのように書いているが、脅迫文から受けた印象は「怪物になろうとして成れなかった人間」にしか見えなかった。あまりにも人間くさいように感じたのを今でも覚えている。

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