2014年8月25日月曜日

「パイが決められた社会」(需要のない社会について)

 長くサラリーマンをやっているなかで「成果主義」に代表されるような会社組織の不条理にはずっと疑問を持っていたのだが、最近はネットの記事などを見ていて、色々と思う事があったので、久々に考えた事をまとめてみる。


1.「成果主義」で成果が出た話を聞いた事がない

 成果主義とは、仕事の成果に応じて報酬を払うという制度である。だが世間一般で目にする状況をもっと下世話に説明すると「ニンジン目の前にぶら下げて社員の尻を叩くこと」あるいは「社員の給料をなんとか値切ろうとする、理由づけの制度」である。
 本来はそこまでクソミソに言われるようなものではなかったのかもしれないが、現実はおおむね上記のような使われ方をしている。

 ちなみに、なぜ私がそこまで成果主義をクソミソにこき下ろす理由は、最近よくあった「ブラック的な企業」によく見られる以下のような発想が嫌だからである。
・社員のモチベーションは報奨金でいくらでもあげられる。
・社員を甘やかすと結果がでない。常におどして締め上げるぐらいでちょうどいい。

 現実的にはこういった話を露骨にはしないかもしれないが、概ね心のなかでは似たような事を考えている人が多くいる。(実際に見たことや会った事もある)
 だがこういった理論が正しくない事はずっと昔から科学的に証明もされているし、コーチングやマネジメントの本などにも記されている。例えばニンジンぶら下げる効果については「ロウソクの問題」としてずっと昔に挙げられているが、単純化された作業については効果が出る事があるものの、ある程度のクリエイティブ(ちょっと考えないといけない)さが要求されると、かえって害が生じることが多いというものである。
 また、脅して締め上げる事の効果も、例えばソフトウェア工学の書「デッドライン」で問題ありとして書かれている。これらは私の経験則とも一致する事であり、実際の会社経験のある人ならば、目線を改めて遭遇したいろんな事柄を考えてもらえれば、普遍的な事だと理解して貰えると思う。(確かドラッカーさんだって、そんな事はやっちゃダメって言っていたと思う)


2.だが残念なことに・・・

 しかしながら、残念な事に成果主義的な発想というものは名を変えて品を変えて登場し、むしろ世の中に広まってしまった。私の見たところ、最近では新自由主義に代表される「自己責任」という言葉があたるかもしれない。ブラックな企業も後を絶たないし、ケチケチした嫌な上司も世の中からなくならい。

 こういった事を考えていた時に、ふと頭に浮かんだのだが、多くの会社では「成果を挙げる」より、むしろ「コストを下げる」事を目指しているのではないかという疑問だ。成果を挙げたいのならば成果主義は障害である。しかしコストを下げるならば成果主義というのは良い言い訳になる。

 つまり彼ら(会社)は、「パイが限られている」(分配する利益が限られている)という前提で行動しているわけだ。

 この事に気が付いて、私は「あれっ、そもそもそんな世の中だったっけ」と考え込んだ。もしも近年の若者(20代ぐらい)までだと、そうかもしれないが、もっと上の世代というのは「パイを増やそうとする時代」として生きてきた人も多いからだ。

 ここでもう一つ思い出した事を書いておく。私がこの「パイが限られている」考えに引っかかっているのは、ながらく現在の経済成長をひたすら追い求める社会(EU、アメリカ、日本とかの先進諸国)というのが、そろそろ本格的に限界にきているのではないかと思うようになったからだ。
 その時に思っていたのが、現在は「需要があんまりない社会」に既にたどり着いていて、昔みたいにバンバン物作って生産性あげて売りまくればみんなハッピーみたいな世の中じゃないよねという事だ。

 でもそれを認めると経済成長が止まるから、みんなあの手この手で需要を作ろうとしてきた。毎年何かのファッションを流行させないといけないし、何かの食事を流行らせたりとか、宣伝しまくってみんなを欲しがらせようとする。例えば日本の例でいえば、内需拡大するために核家族化(親子が別に住むとかの孤立化)を進めて家電とかいろいろと売ったり、あるいは浮気だのなんだのもまるでファッションのように色々と取り上げられるようになった。つまりは恋愛もいつからか露骨にビジネスになったわけだ。

 だが、そこまでやっても、やっぱり現在は「需要があんまりない社会」になったのだと思う。欲しがる事に疲れてきた(あるいはバカバカしくなった)人も増えたのだろうし、機械とかで生産性は年々上がっているから需要が減るのは本来自然で当たり前のことなのだ。


3.需要がない社会は問題なのか?

 そこで考えるべきなのは、現在の世界で色々な経済政策だのなんだのとごちゃごちゃやっているが、ある意味それらは、「需要があんまりない社会」に対しての悪あがきで、需要を無理やり作るか、パイの取り合いで争う(コスト削減競争)を続けているわけだ。

 でも、それは本来はちょっと違うのじゃやないかと思う。需要が無いならないでいいじゃないかと私は思う。むしろこれだけ生産性(テクノロジー)が進化した社会では、あくせくしない方法論だってあるはずだと思う。そして本来は、そういった提案を経済学者にしてほしいのだが、まだそこまでは世の中は進んでいないらしい。


<補足>
※ここで考えた話は、結局は過去に書いてきたこれらの記事とつながる話題なのだな。経済学者を嫌う理由がまた増えたかな・・・。
・未来を浪費する社会
 http://conversationwithimmortalperson.blogspot.jp/2011/10/blog-post_08.html
・経済学者を信じるな!!(その1)
 http://conversationwithimmortalperson.blogspot.jp/2013/01/1.html



<参考>
・書籍 申し訳ない、御社をつぶしたのは私です/カレン・フェラン(著)
 http://www.aty800.com/yaotyan/2014/08/post-29ad.html

・【TED日本語字幕まとめ】「インセンティブ制度は生産性を下げる」- ダニエル・ピンク:やる気に関する驚きの科学
 http://u-note.me/note/47484826

・名著!「デッドライン」
 http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2006/09/post_adea.html

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