2014年9月27日土曜日

上限モデルと下限モデルの考え方

 最近読んだ「街場の共同体論/内田樹」の5章「学校教育の限界」を読んで、ふと思った事をここにまとめておく。この章は短いので、もしも書店で目についたらぱっと読んで貰えば良いのだが、今から書くことの為に私がポイントと思った事を抜粋すると、次のような話が書かれている。

<超抜粋「街場の共同体論/内田樹」>
 ※これは私が読み取った乱暴な意訳なので、解釈ブレてたらすみません・・・。
 現在の社会的な問題の幾つかは学校教育による影響からきていて、その学校教育の問題の根幹にあるのは、育てる人間のモデルがいつからか変わってしまった事の影響が大きいとしていて、本書ではその違いを次のように指摘している。
 ・旧モデル)国家須要の人材の育成
 ・新モデル)自己利益の追求に専念する人間

 ここで言う旧モデルというのは「共同体(国や村とか)の公益の為に学校は存在するべき」という考え方で、つまりは私たちがより良く生活するには、良い教育を受けた人が多い方が良くて、それならば教育はみんなで協力してやりましょうというものである。

 だが現在は旧モデルの理念が忘れられて、新モデルのような結果になっているのだと本では指摘している。つまりは教育する側も受ける側も「良い学校を出て良い職について高収入になって・・・」というような自己利益の追求がメインになってしまったという事だ。
 そしてその理由は「飴とムチ」がもっとも有益だという人間観をベースに教育が行われているからだという。そして本ではその問題点として、そういった教育を行われた人間は「自己利益を最小努力で得る」という事に囚われる為に、結果として他人の不幸を願う、または足を引っ張るといった事をしたり、反知性主義といったマイナス行動を生むのだと指摘している。
 ようするに「まわりが馬鹿ばっかりだったら、自分も勉強できなくても進級できていいよね」とか「みんなが仕事できなかったら、私もできなくても問題にならないよね」とかという思考であったり、よくある「大学をどれだけ勉強せずに卒業したか自慢」などになるということだ。


 本では問題だと指摘されている「飴とムチ」(賞罰主義)というかようするにニンジンぶら下げて人を釣るというやり方はだが、でもこれは現在は至る処にあるやり方である。家庭でもそうだし、学校でもそう、会社でもそう、逆に言えば現在人はニンジンぶら下げる以外に「やる気を啓発する方法」というのを知らないかのようだ。だから、それしかないし、何が悪いという人もいるだろう。
 だがこれを問題だと指摘する人もやはりいるのである。ちょっと前に挙げたが「嫌われる勇気/岸見 一郎」の中でもアドラー心理学は賞罰主義を否定している。私もアドラーに同感であり否定する。

 「ニンジン貰えないと何もしないという人間」は到底モデルとして優れているわけではない。生き方としてもつまらないし、だからアドラーも否定するわけだが、社会モデルとして考えた場合にも問題がある。「新モデル)自己利益の追求に専念する人間」というのは、単独であれば良いかもしれないが、それが全員となればすぐに社会的に破たんをきたして問題となる。
 まえに「信頼の価値と、不審のコスト」で書いた事があるが、我々の社会的なコストの大半は相互不信によるものである。相互に信頼できないので、面倒なルールだの法律だの、警察だの、さらには兵器などが必要になる。もう少し高いレベルでの相互信頼があれば、我々はもっと効率的にいろいろな事をやって豊かに暮らす事も可能なはずである。
 これは言い換えると「ずるく立ち回る」というのは局所最適化した戦略(個人戦略)であるのだが、全体戦略として考えると全員がそうなった世界は鬱陶しくて耐えられないことになる。(まあ、細かくずるする人間は、信頼されないので最終的にあまり大きな益をあげられないで、局所最適の戦略としてもあまり出来は良くないとおもう・・・)


 この件について記事を書こうと思ったのは、私自身もソフトウェアエンジニアとしてどのようにモチベーションを保とうか、また部下であったりプロジェクトメンバーに対してどのようにモチベーションを保とうかと悩んだ経験があるからである。そして私が悩んだのは「ニンジン戦略」に納得がいかず、ノル事ができなかった為だ。

 ちなみに「ソフトウェアエンジニア」というのは、普通の仕事と比べてちょっと特殊であり、モチベーションの持ち方も少し異なるものだと思う。もしも私に「ソフトウェアエンジニアになりたいのだけど」という相談を受けたとしたら、私はまず次のように説明する事にしている。
「ソフトウェアエンジニアというの好きでないと割に合わない仕事だ。技術変化が速いので勤続年数で評価されず、常に勉強する事を要求される。同じぐらい勉強して金を稼ぐのならば、もっと楽な仕事があるとおもうよ」

 ソフト屋というのは割に合わないし、また部分的にはとても孤独な仕事となる場合もある。どうしても局所的な部分を担当するあまりに、担当箇所を他者と共有したりフォローできる体制がとるのが難しいケースが出来てしまって、自分以外は誰も解らない物を作っているという状況が、避けようとしてもある程度発生してしまう事があるからだ。
 この為に、結果として過度のプレッシャーと戦わないといけない場合もある。

 でも良いところもある。私が好きなのは、ソフトの世界は恐らくは他の世界に比べてとても実力主義で分かり易いからだ。下世話な言い方をすると「義理や人情ではコンピュータは動かないのですわ」的な事、肩書や地位などではソフトは動かせない、動かせるのは正しいロジックそのものだけである。これはある意味では厳しくもあるが、ある意味は変な精神論的なものが入り込む余地がなくて、明快でもある。
 また、ソフトを作成するという行為は「芸術作品を作っている」と同じような楽しみがある。もちろん作るものは予め決まっているし制約もあるが、制約のなかでいかにシンプルに優れた作品を作るかは腕の見せ所であり、納期に追いまくられることさえなければ、基本的には楽しい仕事である。(特にプログラミングだと、あっもう2,3時間たっちゃったな的な感じだ)

 上記のような諸々の思いがあって、結果的に私は次のように考える事でなんとか仕事のモチベーションを保とうとやってきていた。

<ソフトウェアエンジニアという仕事について>
・ソフトウェアの作成というのは一種の芸術である。
・あるいは、私は職人であり、作ればいいわけではなく内容や出来上がりにこだわる。
・こだわりがあるが故に楽しめるし、目標もあるし、誇りも得られる。

<開発プロジェクトについて>
・仕様や工期やお金でもめたりうまくいかず迷った場合は「プロジェクトの為に何が最適な行動か」を第一に考える。
 迷った時に自分や所属組織の利益だけを考えた行動や提案は誰の同意も得られず、結果としてはさらに問題を深める。故にそのような事態があった場合は「神の視点」(ユーザーの視点ではない)を想定し、提案を行う事。

 そう考えないと、やっぱり難しい局面があったりした場合になかなか乗り越えられなかった。また上司とかの安易なニンジンを信用できなかったので、心の中では「どうせ金だのポストだの的なものは、たいしたもの出せないでしょ」と思っていたので、それよりは面白い仕事を楽しくやらせてくれよと、いう事をメインにする事にしていた。そっちはあんまりお金がかからないので、ケチな人でもなんとか交渉しだいでは結構うまくやる事もできたからだ。
 でも結果論からすると、上記のような考え方をしていたせいで比較的に色んな仕事をする機会を得られて、わりと経験値をあげる機会を多く得られた方だと思う。だからこそ、なんだかんだと長く仕事も続けられている。


 ここでこの記事の表題のテーマである「上限モデル」「下限モデル」という話をまとめたいと思う。

1)下限モデルとは
 「街場の共同体論/内田樹」に述べられた新モデル、最低労力での最大の利益を目指したモデルである。分かり易い言い方をすると、赤点すれすれを狙う行動パターンである。

2)上限モデルとは
 私自身がイメージしていたモデルで、仕事上なのでコストの関係で上限を作らないといけないが、芸術家/職人気質を満足させる為に、なるだけ上限いっぱいを目指したいという事である。いわば実施可能な範囲の労力で最大品質を得る事を目指したモデルである。分かり易い言い方をすると、時間とかの制約はあるができるだけ満点を狙う行動パターンだ。

 私自身の行動は基本的に「上限モデル」であろうとしている。ぶっちゃけて言うと、どこかの時点で「下限モデル」的な思考にウンザリして止めてしまった。だからこそ言いたいのは「損か得かという事をうるさく言うが、損得だって多くある価値観の一つに過ぎない」という事である。損得を細々考えていると、どうもうまく楽しめない気がして「食うに困らない限りは楽しくやれる方がベストでいいんじゃない」という考えをするようになった。これは特におかしな考え方でもないし、またある意味ではとても合理的ですらある。

 逆に現在の病巣的なものがあるとすれば「多くの人が損得に縛られすぎ」というのがある。縛られたゆえのコントみたいな行動だって多い。例えば、次のような人がだいたいどこにでも一人はいるだろう。
・安売りにつられて、高い交通費払って買い物に行く人
・目先の損得につられて、所属するプロジェクト全体の成否を危うくしちゃう人
・コスト削減に収支して品質不良でビジネス全般の成果を悪化させた人・・・

 ようは損得(局所最適化)に縛られるあまり、全体最適化に失敗して結果として得してないじゃないという人達である。

 だが、このような事態は笑い話ですませたばかりもいられないもので、現在は同じ事が国家や文明単位で行われている時代である。これがグローバル化VS国民国家の文明対決的な問題へとつながるわけだが、きりがないので今日はここまでとします。

<参考>
・【TED日本語字幕まとめ】「インセンティブ制度は生産性を下げる」- ダニエル・ピンク:やる気に関する驚きの科学
http://u-note.me/note/47484826

・信頼の価値と、不審のコスト
 http://conversationwithimmortalperson.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html

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