2014年10月12日日曜日

イスラム国というアラブの大変革

 あなたは「イスラム国」と聞いて何を思い浮かべるか?

 私は正直に言うと、ちょっと前までは「北斗の拳」や「マッドマックス」を連想してた。つまりはシリア・イラクという国情が不安定な場所にはびこった、力を唯一のモットーとした暴力的な組織で、頭がモヒカンの代わりにターバン巻いて「ヒャッハー!!」とか言っているような人達だと思ってたのだ。

 だが同時に、ちょっと不思議だとも思っていた。もしも本当に「北斗の拳」的な世界ならば、どうして世界の各地からイスラム国を支援しようとする人が集まるのか、また急速に成長した背景となる現地の人たちからどうやって支持を取り付けられるたのかという事実に説明がつけられないからだ。(単純にモヒカンでヒャッハー的なだけなら、こんな支持が得られるわけないので)

 そんな疑問を感じていた時に、ちょうどビデオニュースや書籍で「中田考」(イスラム研究者であり、かつ自身もイスラム教徒)の話を見たり読んだりしたことで、考えが180度、もしくは一周して560度ぐらい変わってしまった。そこで、今回はイスラム国ひいてはイスラムとは何なのか、というテーマについて、現在把握している限りで書いてみる事にする。


1.「イスラム国=北斗の拳」的なイメージ
 イメージとして北斗の拳を思い浮かべた、直近の理由は最近あったジャーナリストの首を切った映像による事件である。これだけ聞くと、どうしても残虐で野蛮な連中だと思ってしまう。だが実は首を切るという行為はイスラム教での正式な判決実行方法であり、別に実行者が殺人狂的だったり、血を好んでいるというわけではないらしい。
 まあ、それでも首を切るのは我々的にはショッキングで理解しがたく思うのだが、アラブの遊牧民的な世界では日常的に羊の首を落としたりするところなので、現地的にはあまり特殊な行為ではないそうだ。ちなみに、他の事例ではイスラム国の司令官が犯罪者を銃殺したところ、「なんでイスラム法規に従って首を切らないのか」というクレームが市民からあって、司令官が謝罪したケースがあるらしい。だからこれは無法で無秩序な行動というわけではないのである。

 しかし、そうは言っても首を落とすなんて(たとえ羊だとしても)という人もいるだろう。そこで、ちょっと考えて欲しい。例えば、日本だと普通に「マグロの解体ショー」とかあって、観光したりその場で解体したマグロを食べたりもする。でも、例えばこれが「牛の解体ショー」で、松坂牛をリアルに解体してその場で肉食べるとかというショーだったら参加はありえないでしょ。本当はマグロの解体ショーだって特殊な文化的な背景がないと説明できないようなものなのだから、アラブの文化的な背景が違うことは頭におかないといけない。だから彼らを血に飢えた連中とただちに考えてしまうと、本来の話が見えなくなる。

 あと補足すると、そもそもシリア・イラクあたりは現政権の残虐行為が日常的であり、それに慣らされているという事情もあり、処刑されたジャーナリストというのは、スパイとして処刑されたという事でなので、実際にどちらの言い分が正しいのかは解らない。言えるのは、別に理由なく見せしめに殺されたというようなわけではないということだ。


2.イスラム教徒は狂信的なのか
 この点を私はずっと誤解していた。長い間、イスラム教というのは、もの凄く厳しくて過酷な戒律に縛られた宗教だと思い込んでいた。だが「中田考」や「内藤正典」などによる、イスラム教やアラブ的な考え方を聞くと、ぎゃくに凄く寛容な宗教だと知って驚いた。

 例えば有名な断食があるが、断食の期間は夜明け前から夜までは食事をとらないという戒律がある。これだけ聞くと厳しそうだが、このルールには補足があって、病人とか妊婦とかは無理に断食しなくて良いこととなっている。そしてよるになると、お祭りのように全員で食事を楽しむのだが、しかもこの時には飲食店もただでお客に食事を振舞う事になっているそうで、乞食などもこの時には一緒に腹いっぱい食べて楽しむのだそうである。
 似たようなエピソードは多いが、ポイントなるのは、イスラムの戒律っていうのは厳しいルールがあるようだが、逆に人間はそんなにシビアに戒律守れないだろうというのが前提とあって、無理しない範囲でやれよ的な補助ルールがあるということ。それと、これは遊牧民的な世界観からくると思われるが、相互扶助が基本とあって、困った人を助けなさいという思想がかなりいきわたっていることだ。

 もう一つ印象的なエピソードをあげると、イスラムでは夫が妻に3回出ていけというと離婚が成立する事になっている。だから時々夫婦げんかで3回出ていけと言われたと、妻が律法学者(まあ和尚的な人)に相談にくる事があるそうだ。すると律法学者が夫も連れてきて話を聞き、夫に本当に離婚するのかと尋ねると、たいていは「勢いで言っただけでそんなつもりない」というそうである。すると律法学者が、お前たちはルールを破ったので代わりに、貧しい人に50食施しを与えないと指導したそうである。
 面白いのは、夫に罰を与えるのではなく、周りの他者の施しをして償いをせよという発想である。どうも似たような考えやエピソードは多いらしく、イスラム的には罰を与えるよりは、他の者に役に立って返せとかいう事がおおく、これはキリスト教的な発想とはまったく相容れない。
 しかし、とてもユニークだし、むしろ良い習慣だという気がする。このように本来のイスラム教とは慈悲や相互扶助がベースになった教義や思想だと言える。


 上記に挙げたように、知れば知るほど、逆にイスラム教の発想というのは面白くて、私的には目からウロコの事ばかりだ。とても関心がわいてきて、現在はイスラムに関する本や資料をもっと見てみようと思っている。「酒と豚肉が禁止でなければ、イスラム教になってもいいかな」と思えるぐらいに、面白い。


 では、そういった私的には色々な誤解が解け、あらたに見た現在のイスラム国とアラブ世界についてを考えてみると、まったく今までと異なった様相に見えてくる。私はまだ知識不足なのだが、直感も踏まえてやや乱暴にまとめると、次のようなものだと考えている。

 イスラム教(イスラム圏)とは、アラブ語で書かれた1つのクルーアン(コーラン、聖書的な物)をベースに生活している人なので、住んでいる場所や人種が違えど共通的な世界観をもった人たちであり、これが15億人ほどいるということである。これは、実は凄い事で、例えば日本とタイでは同じ仏教でも一緒に拝んだりすることはできないのだが、イスラムだと同じ言葉とおなじ言語なのでどこでもいっしょに拝んだりできるのである。つまりは、人種が違っても同じ世界観を共有する巨大なグループが存在するという事である。

 そして現在のアラブの混迷というのは、第一次~二次大戦を経て西洋によって乱暴に分割(分断)された人たちが住まう歪な世界の矛盾が元となっている。つまりは、もともとは遊牧民的な人たちで明確に国境とかなかったのが、西洋がむりやりイラン、イラク、シリア等の国境を作って、強引に西洋的な傀儡政権を作ったのが原因である。その最たるものがイスラエルである。そういった歪の中で、やがて西洋化する前の世界観(イスラム原理主義に忠実)でアラブを再構築しようというのが、現在のイスラム国という運動なのである。

 だが現在の西側メディアでは、イスラム国はテロリストの集団であり、野蛮でどうしようもない連中だという事になっている。(なんせ、シリアのアサド政権より悪い事になっているぐらいだからね) そしてアメリカは、彼らを葬る事が世界の正義だと宣言している。

 しかし偏見を捨てて視点を変えると、イスラム国で揺れるアラブの世界はあたかも「ベルリンの壁崩壊前のドイツのようであり」または「フランス革命まえのフランス」のようだとも言えるのではないかと私は思っている。つまりは、西側が作り上げた植民地政策からの最終的な解放闘争だと言えるのではないだろうか。さらには、これは世界を覆うとしているグローバル化へのもっとも強力な反撃となるだろう。(反グローバル化の希望と言えるかもしれない)もちろん、事はそう単純には言い切れないだろう。しかし西側の正義を鵜呑みにしてはいけない。


 最後の現状から推測する今後のポイントについて書いておく。

 私は心情的にはイスラム国成立を支持する方向に傾いている。理想的には、シリア・イラクの政権が倒れ(できれば極力平和的に)、そしてサウジやエジプトをも巻き込んだ、大きなイスラム共同体的なものが生まれるのが、過去の歴史や現在の世界の歪みを正した理想的な状況だと思っている。

 だが、そうなるには大きなハードルがいくつもある。1つはイスラエルの存在、2つめはアメリカ(西洋文化圏)との争いである。だが、私はそれよりももっとも大きな課題はイスラムが真に一つになるには「シーア派」「スンニ派」などの各派が一つになる事だと思う。それができずに、シーア派を異教徒扱いで殲滅しようとすれば、やがてはイスラム国という運動そのものも幻として終わるだろう。だから各派の統一というテーマが真にイスラム教の寛容さ(度量)を試される事になると思う。

 ちなみに、今の日本は安倍政権がアメリカに追従して、アラブまで派兵しそうな勢いだか話がややこしい。日本のアラブ参戦は道義的な妥当性はないし、戦争がすんなり済む可能性もないし、テロでお互いにメチャクチャになる可能性もあるし、考えられる最悪のシナリオである。
(別にこじつけるつもりは無いのだが、あらゆる方面にて安倍政権というリスクにぶつかる。どうにかならんのかな・・・ほんとに)


<参考リンク>
『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』/内田樹&中田考

イスラーム国の論理とそれを欧米が容認できない理由

同志社大学 講義「良心学」第11回「向こう岸から良心を考える──イスラーム世界の良心、西欧世界の良心」(内藤正典)

同志社大学 講義「良心学」第12回「向こう岸から良心を考える──イスラーム世界の良心、西欧世界の良心(2)」(内藤正典)

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