2017年12月12日火曜日

映画「否定と肯定」(ホロコーストの真実をめぐる戦い)を観て

 私は基本的に面倒くさがりなのであまり映画館に足を運ぶ事はあまりない。しかし最近の慰安婦をめぐる問題(サンフランシスコとの姉妹都市解消)などの影響もあり、同様の歴史修正問題(ホロコーストの否定)を扱ったこの映画はどうしても今見るべき物のように思えて足を運んだ。
 まだ見ていない人の為にネタバレにならない程度に簡単に説明すると、この映画は書籍「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い」を元にした次のようなストーリーである。

 “ユダヤ人女性で歴史学者であるデボラはホロコーストを否定する歴史修正主義者をテーマにして、その手口や動機を問題提起する本を出版する。ところがその本でホロコースト否定主義者の一人として挙げられたアーヴィングが逆にデボラを名誉棄損で告訴する。しかも告訴はイギリスで行われた為に、イギリスの司法に従って被告が無罪を証明をしなければならない事になる。この為に結果的にデボラ「ホロコーストが存在する」という事を裁判で証明するという前例のない裁判を戦う羽目になる”というものだ。

 この映画の主要なテーマはホロコーストのように明らかに存在が認められている事実を、あたかも「否定する意見」「肯定する意見」のように同列に論じる事が間違いであり、そのような議論をしようとしてはいけないという事にある。そんな安易な両論併記は本来自分たちが積み重ねてきた歴史や知恵の放棄であり、また歴史修正主義者に安易に付け入る隙を与えて堂々巡りの論議や後退を行う事になる。主人公のデボラはその問題について映画の中で何度も悩み何を裁判で問うべきなのかを悩みぬく。

 映画評として感想を述べると、これは極めてクオリティの高い良い映画である。緊張感をもってテンポよく進むシナリオ、俳優たちの厚みのある演技、そして歴史修正主義者の悪意にどう立ち向かうかという作戦など、長めの映画なのだが最後まで一気に見れた。そして裁判でレイシストをやり込めるシーンなど、見てると痛快で本当に拍手したくなる。
(実際にラスト近くは映画観内で拍手したくなるのを両手を握って堪えてた。思わずやっちゃいそうだったので・・・)
 なのでこの映画は特に歴史問題に関心がある人でなくとも、普通の法廷映画として十分に楽しめる優れた作品だと思う。
(ただしアウシュビッツとホロコーストの意味ぐらいは知っとく必要あるけど)

<余談>
・この映画は実際に行われた裁判をもとにしているという。ただ史実そのままなのかはよく解らない。面白い話だったので機会があれば原作も読んでみたいと思う。
・英題「Denial:否認」に対して何故か邦題「否定と肯定」だという突っ込みがTwitterにあったけど、正にその通りで邦題は残念な事になっている。映画のテーマからすると安易な両論併記に対して否定するという意味があるので、邦題はいまいちになっている。


 この映画は面白かった。そしてちょうど正に日本でホットな歴史問題「慰安婦」「南京虐殺」「731部隊」などに対しる議論の仕方についてもヒントをくれるような内容だった。
 映画を見ていると、まさに日本で見慣れたネトウヨなどの歴史修正主義者がやりそうな手口や発言などがシーンに出てくる。
 例えば否定主義者のアーヴィングはホロコーストを生き残った女性(腕に囚人番号の入れ墨がある)に対して、“奥さん、あなたはその入れ墨でいくら稼ぎましたか?もう十分じゃないですか”などと言って嘲笑するシーンがある。これはまさにネトウヨが元慰安婦に対して“あいつらは嘘つきで金を目的に騒いでいる”とか“元々は金で雇われたただの売春婦”などと冷笑するのとまさに同じである。
 この映画はまさに鏡のように今の日本で起こっている問題を、国籍を入れ替えて演じているようなものだ。(なので私はこの映画をできれば日本の多くの人が観てくれる事を望む)

 なかでも私がこの映画で特に考えさせられたのは“真実の脆さ”と言うべきものだ。
 ホロコーストのような明らかな大事件でさえも、時間が経過して記憶が薄れてくると無かった事にしようとする者が現れる。彼らはは都合の良い解釈や細かい指摘を執拗に繰り返して、ちょっとした綻びから真実(映画ではホロコースト)を毀損して否定しようとするという事。
 そしてそれらの真実を否定しようとする試みを覆すためには、本当に多くの人達が必死に努力をして真実を証明しなければならないという大変さ。
 つまり真実とは、歴史を正しく保とうとするには多くの人の善意や努力に頼らなければ出来ないという事である。真実はそれぐらいに脆く、守ったり受け継ぐには努力がいる。

 なかでも虐殺事件の否定などはそれが顕著だ。虐殺事件では多くは犠牲者であり、証人のほとんどは殺されており死人に口なしが多い。また生き残った少数も年老いてやがて亡くなってゆく。そうやった貴重な証言ではあるが、そもそも彼ら証人は過酷な環境と体験でその記憶(時間や場所)が全て正確であるわけではなく、多くの証言を継ぎ合わせたり推理して組み立てなくてはならない。
 だが歴史修正主義者は悪意をもってその細部の証言ずれなどをあげつらい、全体の虐殺事件そのものが存在した信憑性を否定しようとする。これらの歴史修正に対抗するのは簡単なようにでとても難しい。

 例えばTwitterでも歴史修正の発言は増えているが、そこで議論して否定論者を納得させるのはきわめて難しい。率直に言って私には無理だ。なので私は彼らと正面から議論しようと考えた事はない。
 何故ならばネトウヨなどの歴史守勢主義者は既存の全証拠(例えば書籍など)を既に否定しており、あるいは都合よく解釈しているなど、そもそも反論などを聞く気がない。そのうえに犠牲者などの証言の僅かなずれをあげつらって嘘つき呼ばわりする。
 またこれは最近は特に問題となっているのが、インターネット(日本語世界)がネトウヨのまき散らした嘘でかなり汚染が広がっている事だ。例えばGoogleで“慰安婦 歴史”をキーワードで検索したとする。その検索結果には“慰安婦の嘘”、“マスコミが報道しない真実”とか決まって歴史修正した記事が混じって出てくる。なので歴史的な経緯や事実などを適切にまとめてくれている資料を探すのは至難の業だ。

 正直私にも調べるのはとても時間がなくて無理だ。例えばフォローしている人(信頼おけそうな人)などに聞いて教えて貰うような機会でも無いとなかなか人に説明できるほど理解する事は難しい。しかもネトウヨなどの輩は必ずエビデンスを出せと言う。(あっても信用しないが)これらに対して一般人が対抗するのは難しい。

 こういった事からも実感できるのは、いかにありのままの歴史を正しく残す(伝える)のが難しい事なのかという事であり、そこにどれだけの多くの人の努力や誠意や良心が必要となるかだ。
 しかも日本について言うならば、性質が悪い事に現在の政権は進んで歴史修正をしているのだからたまったものではない。


 歴史を保つのは大変である、だが同時に最近よく考えるのは「歴史修正はどれだけ罪が重い行いなのか?」という事だ。

 歴史修正とはいったいどんな罪なのだろうか?

 中には嫌な事(過去の黒歴史)を忘れてハッピーになる、それで何がいけないんだという人もいるだろう。
 だが私は歴史修正は極めて重い罪だと考える。なぜならばそうやって消されたのは実際に存在した多くの人間であり、そこにあったのは言葉では説明できないような苦痛や苦悩だからだ。

 「居たはずの人間を存在しなかった事にする」それは本来は殺人を超え、記憶や記録さえも消そうという行為であり、人の尊厳を死後からも奪うという最大の罪ではないだろうか?

 私は慰安婦問題について考えると常々やりきれなさを感じる。それは彼女らの苦しみその物より、苦しいと訴える事すら許されなかったという事についてである。慰安婦は戦時中は軍を助けて国難に立ち向かう崇高な仕事であるとしながら、戦後は売春婦だの卑しい汚れた存在だのとして居なかった事にされる。
 そしてもしも彼女達が声を挙げたなら村八分にされたり、石を投げられるなどの扱いを受ける。実際に韓国の慰安婦が何十年も経過して声を挙げるようになったのは、韓国でもそれだけ慰安婦である事は恥であり、証言するにはとても勇気がいる事だったからだという。
 しかも日本では(日本人の慰安婦は)ほとんど声を挙げる人もいない。居てもそれに手を差し伸べて社会でその苦痛に寄り添うという事が出来なかった。
 それらを想像してみれば、存在しなかった事にするというのがどれだけ罪深い行為なのかが解るはずだ。


 また歴史習性には別の問題もある。過去の歴史を都合よく改ざんする事は、結果として本来あった自分の記憶や歴史を失う事になる。

 都合の悪い事を修正する、そしてさらに矛盾してしまった部分を消し去る~これを繰り返し続けると、最後には薄っぺらいどうでも良い残りかすのような記憶しか残らなくなる。それは苦悩や挫折に満ちてそれを乗り越えたような名作小説だった物を、言いにくい事を改ざんして削った結果、しまいには薄っぺらい小学生の作文にしてしまうような行為だ。

 失敗したり苦しんだり悩んだり、そういった過去を乗り越えたり格闘したりする事でかろうじて人が成長するとすれば、過去の改ざんばかりしている者が成長などできるはずもない。ましてやそれが国ならばなおのことだ。永久に幼児のように薄っぺらい愚かなままとなるだろう。

 「否定と肯定」のテーマはドイツだが、これはまさに今の日本人が見るべき格好の映画である。多分映画を見てると“ああ似たようなヘイト発言をあの議員が言ってたな”とか色々と思い当る事も多いと思う。なので是非多くの人に見てもらいたい。


<参考>
「ホロコーストはなかった」とする否定論者との闘い 『否定と肯定』

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