2019年2月27日水曜日

がっかり映画評「アリータ バトル・エンジェル」(ハリウッド版「銃夢」)

1.はじめに

まず始めに言っておかなければならない事がある。それはこの映画評がネガティブ評論であって、おそらく私は容赦無く作品をこき下ろすだろうという事だ。当然ながらその過程でネタバレもあるだろう。なので、もしも貴方が「もう既に予約した」とか「見に行く約束をしちゃった」ならばこれ以上読むのをやめるべきだ。そして映画を観終わってから、もう一度ここへきてこの記事を読むと良い。そうすると記事の共感できて多少は救われるだろう。

 またくれぐれも言っておくが、映画の前に原作(漫画)を読もうなどと決して考えてはいけない。それはもっての他の行為だ絶対にしてはならない。きっと後悔するだろう・・・。それだけは強く警告しておく。


2.ストーリ解説(ネタバレ?)

このアニータの原作は「銃夢/木城ゆきと」という日本の漫画である。ざっくりとストーリーを述べると、舞台は近未来でサイボーグ技術が発達しており、なお過去の戦争で体制が崩壊して地上にあるスラムで多くの人が暮らしているという設定である。主人公(アニータ:サイボーグ)はスラムのゴミの中から仮死状態になっているところを医師に拾われる所から話が始まる。彼女は医師に救われるが記憶喪失だ。だがスラム街で戦いに巻き込まれる事から徐々に記憶を取り戻してゆく・・・と言った話である。(ざっくりと映画版を説明するとこんな感じ)

 それで・・・、ここからがクレームなのだけど、まず誤解が無いように述べるが私は決して「原作厨」ではない。むしろ監督がストーリーを新解釈して広げてくれるのを期待してる方だ。だがこの映画のストーリーはとても残念な出来としか言いようがない。

 その原因は何か? 原作に忠実じゃないからか? 確かにそれもある。でも実のところこの映画はそれほど原作を完全無視しているわけもはない、個々の人物設定やイベントシーンは原作と同じ部分も多い。でもそれが全部台無しになっている。

 原作の漫画は読めばわかるけどかなりハードなサイバーパンク作品である。そして主役の少女も激しい炎のような気性の人物としてが枯れてある。その他の登場する人物や世界ももっとはるかに複雑で深みがある。どっちかというとかなり硬派なSF作品だ。
 でもそれが映画版だとそれが台無しになって、ただの安っぽい「美少女格闘」モノになってしまっている。確かにバトルシーンとか映像は頑張ってるの解る。(ただしどこかチャラい) 例えるならば、せっかく本場のインドカレーが食べたくてレストランへ来たのに、出てきたのがボンカレー(しかも甘口)みたいなものだ。大いに私は失望した・・・。

 おそらくこれは原作のカッコいいシーン(バトル映えする場面)を拾い集めて、良いとこ取りしようとしすぎたせいだと思う。バトルシーン映えをメインで意識しすぎたおかげで、個々の人物の背景や情念などの深い設定が無くなってしまっている。なので溜めて溜めて怒りが爆発するとか、主役の深い苦悩とかがもうひとつ伝わらない。
(ちなみに原作とイベントの前後関係が異なる部分も多い。例えばモータボールを始めるのはユーゴが死んだ後だ等。そういうのが積み重なって背景の説得力が薄れている)

 この「軽い美少女格闘映画じゃないか」と私が批判しする部分だけど、この代表的な部分が主役の名前が「アニータ」という部分である。原作だと主役の少女の名前は「ガリィ」で、助けた医師(イド)が前に飼っていたオス猫の名前という設定になっている。こっちの方がはるかにこの物語の世界観や背景に合っている。
 主役は鉄くずのゴミのなかでたまたま拾われただけの存在で、可愛らしさも何もない男のような名前をつけられる。でもこの鉄のような響きの名前だからこそ、どことなく世界の異端であり同時に叛逆のシンボルへとなってゆく。そういうのが全部無くなってしまっている。
 その代わりに映画では主役は「アニータ(由来:悲しい、優雅な、甘くて苦い)」という少女らしい名前になっている。もう暗黙の雰囲気や設定がすっかり消えている。さらに拾った医師の死んだ娘の代わりみたいな、どこにでも転がってそうなメロドラマ的な設定が付随している。もうこれだけで大違いだ。

 似たような部分が他にもいくつかあって、人物や背景設定が軽くなって説得力がなくなってしまっている。どうも物語やイベントが安易なご都合主義でつなぎ合わされたように思えてしまう。


3.映画評・クオリティ

では映画全体の出来(クオリティ)としてはどうだろう。ストーリーにはダメだししたが他はどうか。

 ストーリーが軽いと散々言ったが、物語のテンポや展開などはスムースでそんなに悪くない。一応にエンターテイメントとしての質はなんとか保っている。そこはきっと腐っても名監督だしハリウッドの力なのだろう。バトルシーンは結構頑張ってていい感じに仕上がっている。
 だがストーリーが軽くなったせいか各俳優の演技も軽くなってしまってる気がする。ダメだしとまではいかないけど、名演技とかそういうのは無い。まあ普通やな・・・みたいな感じだ。

 ちなみに主役の少女はフルコンピュータグラフィックなのか、ちょっとアニメっぽくなりすぎてる気がする。アニメ
のような躍動感もないし、人間のような繊細さもない。どこか中途半端な感じがする。なので原作にあるような主役の極めて繊細でかつ大胆で勇敢、激しい感情などがうまく表現できてないように思う。

 あともうひとつ思ったのは原作の話をおかしな形に歪めてしまっているので、続編は作れないだろうな・・・とも思った。原作だと続きの物語部分にも見せ場がたくさんあって続編やればいいと思うのだけど、重要な設定を歪めているのでそのまま利用できない。これもひとつの失敗じゃ無いかと思う。


4.まとめ

色々と言ったけど要するにこういう事だと思う。
・「この映画は世間にあふれる、ただの美少女格闘映画じゃないの?」
・「これだったら原作があの”銃夢”でなくていいんじゃない?」

 なので、もしも私がこの映画の原作(銃夢)を知らなかったなら。そして、ただのキャメロン新作のサイバーパンクSF映画として観たならば、ここまで酷評はしなかっただろう。やっぱり根本的な問題は「あのサイバーパンクの名作「銃夢」を映画化」とさんざん言ってきたのに、内容的には別に銃夢でなくてもいいじゃない・・・になっている所だろう。原作レイプとまでは言わないけど、やっぱりがっかりだな。

 さいごにこの映画評を書いた動機を言わせてもらう。じつのところ私は今まで今回みたいなネガティブな映画評を一度も書いたことがない。それはわざわざつまらなかった映画の記事を書くのなんて面倒でやる気がおきないからだ。これまでは全て良い映画で是非多くの人に観てもらいたいと思って書いてきた。

 では今回はどうしてわざわざ記事を書いたかというと・・・それは私が本物の原作「銃夢」のファンだからだ。しかもキャメロン監督の映画は好きだった。なので観るまでものすごく楽しみにしていた。ゆえに映画を観終わってなんとも言えない行き場のない気持ちで胸がいっぱいになった。そしてこのやり場のない気持ちを発散させるために記事を書いた。
 おそらく私と同じような想いを抱いている人間もたくさんいるだろう。多少でもそんな人たちの慰めになれば幸いです。


5.余談

実をいうとこの映画が私にとっての初めての本格3D映画だった。(かなり今更なのだけど)実は作品以外にもその点もちょっと楽しみのひとつにしていた。
 初めて観た3Dの感想は・・・、確かに立体感はあるけど少し目が疲れる。あとはそんなに凄いと言うほどでも無いように思えた。どうもシーンによって3Dが冴えるかどうかが明確に分かれるように思う。
 私がみた感じだと、3Dは広い場所(空の風景)とか見渡す視点でないともうひとつ冴えない気がする。例えば空に浮かぶ空中都市(ザレム)の姿は奥行きがあって美しい、そしてビルの屋上から地面を見たシーンはすごくリアリティがある。だけど室内バトルみたいなものは、風景の奥行きが足りないせいかそれほど映えないように思う。
 なので、おそらくキャメロン監督の「アバター」(観てないけど)とかの方がそういうシーンが多くて見応えあったんじゃないかなと思う。

 最後に、私はキャメロン作品はすきだった。だけど今回の映画は色々とイマイチで正直「見損なったぞキャメロン」と言いたくなる。アビス、T2やエイリアン2とかは良かったのにな・・・。


<参考リンク>

アリータ バトル・エンジェル

2019年2月22日金曜日

日本の「ジャスティン・トルドー?」 ー CCSと地震の関係ー

 日本の社会や政治の話題になった時にふと頭をよぎる事がある。それは日本にも「トルドー(カナダ首相)」や「メルケル(ドイツ首相)みたいなトップがいたらいいな・・・というぼんやりした願望である。

 メルケルは科学者出身で論理的かつ強い信念の持ち主だし、トルドーは若いが知的でどんな記者の質問にもすぐに適切な答えを返すとと評判である。ある時、AIに関する高度に技術的な質問が記者からあった際にも即答して記者を感心させたという。イケメンなだけではなく相当な知能の持ち主でもあるらしい。
 まあそこまで贅沢は言わない。だが一方日本はと言えば、安倍総理は即答どころか事前に問い合わせがあった質問にしか答えないし、かつ答える内容は全て事前に用意されたカンペを読むだけである。そしてたまに事前準備がない質問があったりすると意味不明な回答をする・・・。
 トルドーと比べるのは気の毒かもしれない。でもせめてカンニングペーパーなしに話が出来る人物がトップであって欲しい、そう願うのは別に贅沢な願いじゃないだろう。


 トルドー、トルドーとなんども繰り返すが実はべつにトルドーに関するニュースがあったわけじゃない。これはたまたま見たニュースを見て私がさっきまでの話を思い出しただけの話だ。しかも一見まったく関係の無いニュース。それは鳩山元首相による北海道地震はCCSによるCO2の地下貯蔵計画が原因だという記事のことだ。

 最初にTwitterでこの鳩山氏の発言を見た時に、正直私も「???」「何を言い出すのだこいつは?」と思った。そして案の定、ネットでは元総理がカルトな陰謀論をいきなり言い出したと話題になった。詳しくはみてないが、おおむね「やっぱり鳩山はアホだ」という論調のようだ。
 まあそう思うのも無理はない。以前に東北大震災の時には今はなきチャベス大統領が地震はアメリカの気象兵器「HAARP」が原因だと言い出して騒ぎとなった事がある。なので余計にみんな「何を言ってんだこいつ!!」となったのだろう。正直わたしもまず最初にそう思った。
 だけど鳩山氏はいっけん唐突な事を言うアホに見えるが、実はなかなかのインテリである。私はそれを思い出して彼が指摘するCCSについて少し調べてみた。

 私も初めて知ったのだがCCSとは、温暖化対策としてCO2を地下に閉じ込める計画であり、岩盤のしっかりしたところにCO2を圧縮して送り込んで閉じ込めるものらしい。そして実際に震源の近く(苫小牧)にCCSの計画がり、スケジュール的にも2016〜2018年にCO2の注入、現在はモニタリング中となっている。確かに条件的には色々と一致する。ちなみに鳩山氏は他にも同様の事例、長岡で当初行われていたが中越地震で中止となり、またいわき市沖でもあったが大地震で中止となったと述べている。これは別に嘘ではなく確かに過去に大地震が発生した地域でCCS実験は行われていたようだ。

 ちなみにCCS実施計画を説明しているサイトをみると、そこには環境への影響や地震などの状況についてはモニターをしている事などが記載されていた。まあこれは当然のことだろう。これを見ていて私は過去に聞いたアメリカのシェールガス採掘に関するニュースを思い出した。
 シェールガス採掘は地下深くに強い水圧をかけ、岩盤を破壊してメタン化したシェールガスを抜き取る技術である。私が見たニュースでは工事による環境破壊への懸念が取り上げられていた。当時具体的に指摘されてたのは地盤沈下、微震、あとガスが水道数に混じってしまうというものだった。CCSと似た作業を行うシェールガスでも地震や環境への影響は当時から懸念されていた。
 ましてや日本は世界一の地震地帯である。CCS作業が地震に影響しないのかという懸念を持つのは当然のことだろう。なので鳩山氏が言っていることは別に荒唐無稽なわけではない。なお私の目からみてもまず2つの疑問が生じる。

(1)CCSは大地震の発生に無関係なのか?
(2)大地震発生後も同地区でCCSを継続するのは妥当なのか?

 おそらく(1)については照明が難しいだろう。政治的にもまた利権でごちゃごちゃしてそうだ。それを除いたとしても技術的にそもそも立証が可能かどうかわからない。でも少なくとも(2)は当然ながら検討するべき事柄だ。CCSの様な作業をするには、当然ながら事前に地震や岩盤などの入念な調査して場所を選定しているはずだ。今回はその近辺で大地震が起きているのだから、あきらかに前提が覆ったと推測される。なので当然ながら調査や検討が必要となるなはずだ。
(何かすでに調査しているのか、政府にやる気があるのかなどは知らないけど)

 ちょっと調べただけでもそんな感じなので、今回の件は鳩山氏が問題提起をするのは当然だと思うし、科学的な検証作業が必要だとも思う。だが暫定口調で煽っている理由は解らない。ひょっとしたらずっと懸念が無視された経緯があって、あえて挑発したのかもしれない。

 ちなみに、なんで私が今回の件で鳩山氏の話に興味を持っと少し調べようと思ったかというと「鳩山内閣」の事を思い出したからだ。昔から鳩山氏って良い人っぽいと言われているが、同時に「宇宙人」と冷やかされるぐらい突拍子もない事を言うと評判だった。実際に私も同様のイメージをもっていた。少なくとも彼が2010年に総理をやっていた時はそうだった。当時の私には彼のビジョンはまったく理解できなかった。
 でもその後数年たって、あの時に突拍子がないと思っていた鳩山のビジョンは実は現実的だったのではないかと思うようになった。非常に大雑把なイメージだけど鳩山は初めて冷戦崩壊後の新しい方向性を出した日本の政治家だったのではないかと今では思う。だけどそれは叶わなかった。そしてその後に(当時は無理だろうと思っていた)方向へ舵を切ったのは日本ではなく韓国だった。全てが後付けだけど私にはそう思えた。そんな経緯があったから頭ごなしに鳩山はアホであるとは思えなかった・・・。

 で、ここからが本題だけど、なんでトルドーが出てくるかというと・・・。

 ずっと私が願っていたトルドーのような政治家とは、実は日本で言えば「鳩山由紀夫」だったのではないか? 急にそんな考えが頭に浮かんできたからだ。
 インテリで教養人でありかつ理想家で大胆な発想をする。もちろん若いとかハンサムだとか他にもトルドーの魅力は色々ある。だけど実はトルドーに最も近かったのはよく知っている鳩山だったではないか? その考えは私にとっても衝撃だった。そして考えさせられた。

 ひょっとしたら確かに鳩山はトルドーだったのかもしれない。でも仮に本物のトルドーが日本に居たとして、私たちは彼をトップに選んだのだろうか?
 私にはそうは思えない。きっと私たちは鳩山と同様に「宇宙人」だの「能天気なボンボン」だのと揶揄してトップに選ばなかっただろう。そして結局のところは、やっぱり「安倍」を選んでいたのじゃないかという気がする。
(少なくとも私の脳内シミレーションでは何回やってもそうなる)

 これは(ただの妄想だけど)ちょっと私にはショックな出来事だった。人材がない人材がないと言いながら、実は我々が選んでないだけなのかもしれない。なんだかんだと言いながら結局はわかりやすい人、ときには分かっていながら下衆をトップに選んでしまうかもしれない・・・。なってこったい!!

<P.S.>
 地震とCCSの因果関係については率直に言うと私には解らない。ただ確かに偶然だと済ませられない気はする。ただしこれはあくまでも私の率直な感想でしかない。本格的に考える能力も時間も気力もない。これ以上は何とも言えない。
(ただもしも、多少なりとでも因果関係があるならば、これは確かに途轍もない大ごとだ)


<参考リンク>
北海道地震、鳩山元首相の「人災」発言が物議…CO2地下貯蔵で人工的に起こされたと主張
地下3000メートル!「CO2貯蓄施設」の実態
苫小牧CCS実証試験 ースケジュールー

2019年2月21日木曜日

映画「金子文子と朴烈」 〜歴史のリアリティ〜

1.はじめに

映画「金子文子と朴烈」を見てきた。なかなか良い映画だったし考えさせられた事もあった。なので久しぶりに映画評を書く事にする。なお私は映画評をまだ観ていない人の為に書いているので、ストーリーなどはネタバレしない程度に紹介して見どころやどう感じたかを率直に記載する事にする。


2.ストーリ解説(ネタバレなし)

まずこれは大正時代の日本で起きた実際の事件元に作られた映画です。時代は1923年関東大震災が起きた年の東京。そこで日本帝国政府への抵抗をしている朝鮮人の朴烈と日本人の文子が出会う部分から話が始まる。
 当時は朝鮮半島から日本へきた朝鮮人が多くいて、彼らは帝国政府による支配や圧政に対して不満を抱いていた。朴烈もそのような青年の1人であり帝国政府に対する抵抗をしようと計画していた。
 朴烈らはどこにでもいそうな革命を夢見る若者である。だがそれが関東大震災とその後に起こった朝鮮人虐殺事件により大きく運命が代わる。帝国政府は震災後にヘイトを煽ったうえで朝鮮人の虐殺を黙認する。そしてそれが大事になりそうだと気がつくと、朴烈ら朝鮮人を捉えて彼らの暴動や革命を未然に防いだ事にして虐殺をもみ消そうとする。そんな中で捕らえられた朴烈は、逆に裁判を利用して多くの人々へ支配の残虐さと理不尽を訴えようとする。


3.映画評・クオリティ

まず映画のクオリティだけど、実はこの映画を観てすぐに驚いた事がある。それはこの映画が日本語で作られていることだ。もちろん日本語といっても主人公が在日朝鮮人なので韓国語の会話シーンも多くあってそこには字幕がつく。
 私は韓国映画だから字幕が当然だと思っていた。なので初めは「えっ吹き替え版作ったの?」と驚いた。でも実はそういう訳ではなく最初から史実に忠実に作った結果のようだ。(日本で起きた事件なので忠実であれば当然は日本語メインになる)
 これは何気ない事かもしれないけど、正直言って私はまずそのプロ意識の高さに驚いたし感動した。

 このドラマは虐げられる立場にあった朝鮮人青年の目線から見た当時の日本帝国の話である。だから主人公が差別を受けたり酷い目に合わせたりと言った悲劇的な話である。でもテンポの良さと登場人物の生き生きした表情とユーモアで笑顔になるシーンもたくさんある。重いテーマを扱っているが暗い映画になってない。これは後から気がついたけどちょと凄い事で極めてクオリティの高い映画の証明だと思う。
 なぜなら物語は日本帝国時代の闇、差別や虐殺などの重いテーマについても正面から取り組んで描いているからだ。そこには数々の悲劇が見え隠れするし、人間の醜さもある。だが主人公の朴烈と文子の明るさや率直さなどが暗い雰囲気ではなく、時には笑いをそして勇気づけるような形で描かれている。なので後味が悪い映画にはなってない。むしろ見終わった時に、どこか勇気付けられたようなポジティブな気分になっている。

 あと率直にすごいと思ったのは韓国俳優のレベルの高さだ。日本人役もほとんどが韓国人なのだが素晴らしい演技だ。中でも憎まれ役の内務大臣(水野 錬太郎)は怪優だな。ちょっとイかれた雰囲気などが最高で映画を引き立ている。個人的には判事(立松 懐清)が好きだなった。どこか透明感があるような不思議な雰囲気が出ててドラマが不思議とドロドロしてないんだな。
 いや正直言って「韓国映画のレベルってめっちゃ高いやん」と驚かされた。


4.私が感じたこと「歴史のリアリティ」

映画そのものはクオリティが高くて安心していろんな人に勧められる内容だと思う。ただ近年は歴史認識だの何だのと民族的なヘイトが高まっていて、日本人の読者ならばその辺りも気になるところだろう。この問題はだんだんエスカレートしつつあり、直近でも「韓国レーダー照射問題」があったところだ。ちなみに私も日本人で、まずは率直に色々な歴史認識問題に対する考え方を説明しよう。

 例えばよく炎上する部分、大日本帝国時代の朝鮮侵略〜満州国〜敗戦と朝鮮半島の分割という悲劇など。私は一般教養的な事柄は知っているつもりだが、特に歴史に詳しいというほどでもない。そして特に右寄りでも左寄りでもないつもりである。だが歴史改竄などの誤魔化しには反対で、ゆえにネトウヨ達が慰安婦を非難したり南京虐殺が無かったなどと述べるのは許容できないし怒りを覚える。
 
 ちなみにネトウヨは大日本帝国と自分達をあたかも同じかのように同一視し、ゆえに都合の悪い歴史否定しようとする。だが私は逆で、私たちは大日本帝国とは違うと考えており都合の悪い歴史を隠そうとは思っていない。なぜならば「大日本帝国の連中と私たちは違う。私たちは虐殺などを繰り返したりしない」と自信を持って言うつもりだからだ。
(でも最近日本社会がヘイト化してだいぶ自身が無くなった・・・。あれっ俺たちは進歩して無かったの?みたいな)

 私はそういう立場なので歴史改竄など考えないし黒歴史も気にしないとずっと考えていた。だがそれでも映画に出てくる朝鮮人虐殺のシーンは、そのあまりにも理不尽さに、そして醜さに、さすがに胸の痛みと共に複雑な気分となった。でも同時に「ああっそうだったのか」とひとつ気が付いたことがあった。

 それは「これこそがが歴史のリアリティなのか・・・」と強く感じたことだ。

 例えば私は関東大震災後に起こった朝鮮人虐殺のエピソードについては知っていた。あの「15円50銭」というセリフについても。

 でも実際に映画のシーンで見た時、知識ではなくそのあまりの理不尽さに胸が痛んだ。

 つまり私は朝鮮人虐殺を例えばテストの答えのように覚えていただけなのだ。そこには実際に生身の人間が傷つく事への実感が欠けている。生身の人間が傷つくことやその悲哀を目にする事は大きく違うのだ。それが改めてよくわかった。ちなみに映画に出る虐殺シーンはそれほどグロいものではない。だがその理不尽さや恐怖とやるせなさと言えば・・・。きっと私はもう忘れないだろう・・・。

 そして同時に解った事がある。それは私にとって日本の歴史がどれだけ薄っぺらくてリアリティが無いということ。そして逆に韓国や北朝鮮の人たちにとってどれだけ生々しいリアリティを持っているかということだ。

 私もそうだけど多くの日本人は自分たちの歴史に興味はないと思う。大河ドラマや映画で楽しむ事はあっても、時間をかけて学んだり知ろうとしたりはしないだろう。日本国内で歴史の知識を必要とされる場面はほぼない。私たちは生まれた時から何もかもがずっと同じだったかのような顔をして生きている。

 だが韓国人たちは違うのだろう。彼らは定期的に歴史を思い返しあるいは反芻して「本当にこれで良かったのだろうか?」と自分に問いかけながら生きているのだろう。それはこの映画を見てて何か私にも解った気がした。そしておそらくそれは必要で重要な事なのだろうということも。当然、私たち日本人にとってもだ。

 私たち日本人は歴史を知らない。つくづくそれを実感する。それは「良いことも」「悪いことも」その両方とも知らない。知っているのは血の通ってないとても薄っぺらいことだけだ。例えるならば「日本昔話」ぐらいの薄っぺらさだ。だけど韓国はこの映画で彼らの歴史があたかも「ドストエフスキーの小説」並みにぶ厚いことを示してくれたように思う。
 それを実感するのは、どれだけ今までの記憶を思い返しても歴史に触れたり学んだりした記憶が見つからないことだ。

 いちおう子供時代に平和教育とか反戦教育はあった。だがそれにどれだけリアリティがあっただろう。それらを人間のドラマとして理解した事があっただろうか?

 かろうじてリアリティを教えてくれたのは学校ではなく漫画や文学などの作品だ。例えば「はだしのゲン/中沢啓治」は最も最初に出会った歴史であり戦争や人間のリアリティだと思う。あれが無かったら私もネトウヨ並みに軽かったかもしれない。
 あと子供向け文学だけど「戦艦武蔵の最後/渡辺清」はとても印象に残っている。いま思い返すと凄いけど、子供向けと言いながら手足がちぎれて泣き叫ぶ人間の姿とかが容赦なく描かれていた。
 もしもそれらの作品に合わなかったら戦争の理不尽さを、そして歴史として振り返る重要さを少しも理解する事は出来なかっただろう。

 リアリティといえば、あともうひとつだけ常に思い出すちょっとした出来事がある。それは私が高校生で剣道部だったころの話だ。あるとき私は友達と3人で試合会場へとタクシーで向かっていた。運転手は私たちが持っている防具や竹刀をみて話しかけてきた。
 「にいちゃん達がやっている竹刀の稽古で人が切れるか?」
 「俺は昔、朝鮮で切った事があるよ」
 私たちはほぼ無言で目的地についてタクシーを降りた。なんだかとても嫌な気分だった。それでさっきの会話は何が嫌だったのかという話題になった。結論はあの運転手の口ぶりだった。あの時の運転手はなんだかとても嬉しそうに人を殺してきたと(自慢っぽく)話をしたのだ。それがすごく不快だった。でも今にしてみればこれもひとつの戦争のリアルだったと思う。

 第二次大戦とその敗戦は、学校では悲惨な戦争の悲劇として語られる。だがそこにはあのタクシー運転手のように殺人を、ひょっとしたら虐殺を楽しんでいたかもしれない人もいただろう。私はそれをあの経験から理解する事ができる。やっぱり私たちはもっと前の時代に何が行われて何が起きたのかを知っておくべきなのだ。

 私たちは自分らの歴史を知らない。これはグローバル化した時代には結構な痛手だ。私たちは薄っぺらい試験問題のようなリアリティしかもってないのに、そんな状態で例えば海外へ仕事に行ったり移住しなくてはならない。それはガリ勉しかした事のないもやしっ子が、いきなりジャングルでサバイバルしろと言われるようなものでとても不公平で理不尽だ。

 原因は色々とあるだろう。でも最大の原因は、きっと悪い事や面倒な事は忘れたかったが為に黒歴史を語らなかかったからだろう。だがそうやって暗い面を消し去ったおかげで、本来の明るい部分までがリアリティを無くしてしまった。

 平たく言うと、私たちの持っている歴史書は「水戸黄門」ぐらいに軽いよと言う事だ。近年はネトウヨ的な歴史修正主義者が熱心に日本史なるものを作ろうとしているようだが、それらはきっと最近流行りの異世界転生物のラノベぐらいの重さだろう。


5.最後に

まあ色々と思いが巡ったけど結論を言えばこの映画は面白かったし見てよかった。ひょっとすると歴史認識がどうのとかを気にして見るのを躊躇う人がいるかもしれないけど、そんな細かい事をごちゃごちゃ考えずに「ただの名画」だと思ってみればいいと思う。
 それでもまだ躊躇うのならいっそこれは別の国の話だと思って観ればいいだろう。その方が自分に正直にドラマを感じる事ができる。

<P.S.>

 この映画は最近の日韓関係悪化の中で公開された為に、人によってはかなり日本に厳しい、あるいはヘイト的な作品と想像する人がいるかもしれない。でも私的な見解を述べると、映画全体を通して日本人に対してかなりポジティブな視点で描かれていると思う。

 例えば冷酷だった看守(日本人)が文子のそれまでの体験を知ることにより、文子や朴烈に対して同情的になってゆく。また検事(日本人)の取り調べも民族差別を超えて真実を知ろうとする信念が感じられる。そして二人を弁護する弁護士は国を超えて正義を追求しようとしている姿が描かれている。
 つまりここに描かれた日本人は永久に理解できない者ではなく、お互いを知ることで理解しあえる。そういう可能性を持った存在として表現されている。

 たとえ民族の違いや歴史の闇があったとしても真実を知ろうと努めればいずれは必ず理解しあえる。

 言葉にはされてないが、そういったポジティブなメッセージが映画に込められていると私には感じられた。

<余談>

この映画は本当に韓国映画のクオリティの高さに感動した。また同時に残念ながら日本映画はこんな優れた作品を作れないのではないかとも思った。もしもこのテーマを日本映画でやったら、きっとただの「投獄という特殊な環境で燃え上がる男女の恋」みたいなメロドラマになっただろう。それはあるいは歴史修正よりも酷い冒涜かもしれない。