2019年3月30日土曜日

昭和のノスタルジー

1.はじめに

もうすぐ平成が終わり、次の元号が数日後には発表されるらしい。普通ならここで平成を振り返ってとなるのだろうが、あえて私はそのひとつ前の昭和の記憶について語ろうと思う。
 私は昭和40年生まれだ。当時は高度成長からバブルへと移行してゆく時代だった。共に過ごした昭和はたかだか20年程度である。だがそれでも最近のニュースやネットを見ていると、多くの人は僅か30年ほど前すら記憶喪失になっているように感じる時がある。
 例えば中国とか韓国など近年の発展が目覚ましい国に対しての批判の軽さなどだ。発展する国ででの多くの問題は日本も過去は同様に悩まされてきたではないかと言いたくなる。私たちは一気に今のようになったわけではない。数十年前はもっと野蛮でもっとナイーブだった。他人事みたいな顔で批判を述べるが、同じ時代を生きて知っている人がたくさんいるじゃないか? そんな風に問いかけたくなる。
 だからこそ私はあえて昭和の記憶を手繰り寄せて当時の空気について書こうと思う。それも今の自分ではなく幼い自分の目から、タイムスリップして当時の記憶を思い起こし、昭和の日本や日本人が「どの様な人達」で「どんな国」だったのかを語ろうと思う。

2.昭和のヒットソング

私が初めて音楽に目覚めたのは小学校の高学年だった。きっかけは当時流行した電子ブロック(パズルピースとなった抵抗やコンデンサを組み合わせて電気機器を作る)おもちゃでラジオを作ったことだった。ラジオは当時の私にとっては新天地のように全てが新鮮で、今考えても不思議なくらいに私はラジオに熱中し、やがてテレビを消してあえてラジオを聴くようにまでなった。

 当時の音楽シーンといえば、久米宏と黒柳徹子が司会する「ザ・ベストテン」というヒットチャートを毎週公開する番組が大人気で、松本聖子や山口百恵やピンクレディといったアイドルが登場した時代だった。学校でも同年代の子供はみんなテレビで見たアイドルの話をしていたような記憶がある。
 でもテレビではなくラジオっ子だった私は少し違っていた。テレビで流行のアイドルより、初めて聞くポップミュージック、ノーランズやクリストファークロスといった洋楽に夢中になった。

 当時子供だった私は演歌が嫌いで「いつか大人になったら私も演歌が好きになるのだろうか?」とよく考えていた。それは当時の大人たちは洋楽ポップスなどは子供向けの音楽で、大人になれば渋い演歌を聞くのが当然という顔をしていたからだ。
 そして数十年後にその答えは明らかとなった。私は今でも洋楽は大好きだ。そして演歌は大嫌いだ。それは数十年を経ても変わらなかった。私たちはおそらく日本で初めて本格的に洋楽で育った世代である。ただし10年ほど先輩とは違って、私たちが憧れていたのはアメリカ音楽ではなく、イギリス音楽だった。
 村上龍は私より世代がひとつかふたつ上だった。彼の作品やエッセイを読めば、彼がローリングストーンズなどのアメリカに激しい憧れとジェラシーを抱いていたのかがよくわかる。彼らが育った世界は日本は貧しくてカッコ悪く、アメリカは豊かや力強さの象徴だった。
 でも遅れて来た私達の世代にとって、音楽のメッカはイギリス・リバプールであって憧れはイギリスだった。むしろハンバーガーに代表されるアメリカのイメージは大味でちょっと野暮ったいと思っていた。ちょっとした時代の違いですらこれほど異なる。

 少し話が脱線したがここで本題に戻ろう。要するに何の話がしたいのかというと、昭和の終わりとは「演歌的」な世界観、「アイドル的」なもの、さらには「洋楽的」な物がミックスされた時代だったということだ。大正時代のドラマによく出てくるざんぎり頭にハカマに洋靴といった、風土固有の土俗的なものと舶来の新文化が混ざり合う中に生きていた。
 私はと言えば、当時の演歌もアイドルもどこか泥臭くて好きじゃ無かった。そして演歌のどろどろとした情念の歌詞と、アイドルのチャラチャラした歌詞に囲まれて、無理やりどちらかを選べと迫られているような気がして苦痛だった。だからこそよりいっそう洋楽の世界に憧れたのだろう。演歌もアイドルも共に古くから存在した日本の何かを継承している。だが洋楽はそれらの呪縛とは異なる世界から来たもので自由だった。
 
 あの時代に憧れて洋楽ファンになった者は多い。だからきっと私と同様に感じていた者も多かったのだろう。もちろん日本人が作った曲でも優れた物や好きな作品はある。だが歌詞に対して言えば「どうして日本の歌詞はこう薄っぺらいのか?」と私は常に不満を抱いていた。日本で作られたポップミュージックは例えどんなジャンルであれ全て「恋愛」がテーマであり、それ以外はない。まるで禁じられているかのように。
 今にして思えば無意識的なブレーカーみたいな物があって、政治や社会に対する不満を歌にするのは避けられたのだろう。避けたところで音楽は作れる。だけどそこには人生の重みが無くて、とても薄っぺらい。ある意味では私たちは人生の何たるかを語らせてもらえない子供のようだった。
 当時の雰囲気を語るならば、洗練された人々(西洋人)が優雅に楽しむパーティがあって、日本人はおっかなびっくりで初めてデビューした様なものだった。中でもイギリスはパーティの古参であって、踊ることに飽きたような余裕さえ感じられた。もしひとことで言えばこうだ。

 昭和のキーワード:「日本人は田舎者である」

 当時の私は音楽を通してずっとそう感じていた。このキーワードは今の日本人が多く忘れているような気がする。だけど幼く未熟だった昔を忘れない事も私は重要だと考える。ゆえに迷った時の為に、このスタート地点を覚えておく必要があると思う。

3.遅れて来た田舎者

先ほど述べたが当時の日本や日本人とは、一言で言えば「遅れてやってきた田舎者」である。当時の状況を思い返せばそれも容易く納得できるだろう。WW2の敗戦で全てを無くしてど貧民になる。そして苦労してようやく国際社会に復帰する。
 敗戦から20年ほどで日本は急激に経済成長したがその理由はさまざまだ。例えば大甘な敗戦処理や冷戦下でのアメリカオの積極的な支援、朝鮮戦争による特需などさまざまだ。だが私は当時の日本人を知るためにあえてそのマインド部分を掘り下げてみたい。

 おそらくWW2で敗北した後の日本人はコンプレックスの塊だったと思う。大本営発表でさんざん世界の優秀民族とか持ち上げてきた大日本帝国はあっさり無くなり、大和魂と胸を張って来た多くは近代的な合理主義に完全敗北した。その結果、鬼畜米英だったのが手のひらを返したように親米になり、学校では教育勅語ではなく民主主義や人権を教えるようになった。
 おそらく当時の日本人にはそれらをまったく理解できなかったと思う。昨日までと180度反対のことを明日からと言われて混乱しない人はいない。だが彼らはそうした。
 「どうやって?」
 「きっと深く考えるのを止めたのだ」
 そう私は思う。理屈でもなく信念からでもなく、生きるために飯を食うために、ただ言われた事を粛々とやったのだ。それはきっと当時の日本人にとって、とても理不尽だったのだろう。

 今にして思えばその理不尽さは、意味のない校則でがんじがらめにされた学校のようだったのかもしれない。いやむしろ学校がその時代の理不尽さの名残なのかもしれない。前に校則で地毛が黒でない少女の髪を染めさせたとニュースで聞いたとき、私はその理不尽さに衝撃を受けた。
 おそらく元々の校則の意図は「本校の学生は髪を染めるのを止めてくれ」だったのだろう。だけどいつからか「黒にする」事へと意味が変質し、誰もそのおかしさについて疑問を持たずに強制で従わせるようになった。
 でもそれこそが校則の本質なのかもしれない。

 「お前たちが理由を知る必要はない。お前たちが従うかどうかだけが重要なのだ」

 きっとそれが校則の本質なのだろう。

 同様に当時の日本人も似た様なものだったのではないかと私は思う。軍国主義が消滅し、初めて聞く民主主義だの人権をやれと言われ、きっとみんな意味がわからないままマネをしたのだろう。ただ戦争に負けたわけではない。全ての信念や伝統を否定され、原爆によって心を折られた日本人は限りなく卑屈だったと思う。

 渡戸稲造の「武士道」を読んだ事がある。あれは明治になって西洋デビューした日本人が切実な思いで「我々は野蛮人ではありません」と言う為に書かれた本だ。その当時も日本は田舎者だったのだ。そして田舎者だと後ろ指を指されるのを気にして必死に面を取り繕おうとあがいていた。しかしその苦労も後にWW2で全てパーになった。負けっぷり悪あがきと無様さに加えて虐殺や自殺攻撃などの蛮行もあり、おそらく当時の世界は「日本人とはとてつもなく凶暴で野蛮な連中」だと考えただろう。もう一回、明治あたりからやり直しだ。

 昭和とは、いわば評判もお金も無くしてど貧民に落ちぶれた日本が、どうにか這い上がって認めてもらおうと必死にあがいた時代だった。
 当時よく日本人は「勤勉」「謙虚」と言われていた。これは今になって思えば、田舎者がどうにか仲間に入れて貰おうと必死であがいている姿だったのだろう。そしてようやくかなったのが70年代である。GNPが世界第二位になってようやく世界に認めて貰えると思うようになった。
 ここに私が注目したいもうひとつのキーワードである。

 昭和のキーワード:「日本人は謙虚だった」

4.成金時代

若い人は知らないだろうし年配の方も忘れている気がするが、高度成長した当時の日本人はとても「謙虚」だった。私は今でも覚えているが、70-80年代に流行った自己啓発本はどれもこれもが「日本人はもっと自信をもとう」とか「謙虚すぎる」だの「はっきりとNO言えるように」といったキーワードが溢れていた。
 敗戦してど貧民におちた田舎者が経済成長してようやく世界に胸をはれると思い始めた。つまりそれぐらいに、それ以前は自信がない人達だったのだ。これは今の人たちには想像しにくいだろう。今みたいにテレビで「日本サイコー」や「日本凄い」「世界が憧れる日本」みたいなものはゼロで、当時はもっと自信だそうよ、もっと胸張っていいんだよと自分に言い聞かせていたのだ。

 まあ胸を張るのも良い、自信を持つのもいいだろう。でも田舎者がお金だけ得て出かけたら、きっとそれなりのトラブルを引き起こすのも当然だろう。特に80年代のバブルにはそういったエピソードが多くある。
 当時、札束を握りしめて海外旅行に出かける日本人達は「エコノミックアニマル」と海外でさんざんに揶揄されていた。お金はあってもマナーは全く知らない。レストランでのマナーは最低で、当時のニュースで「レストランから日本人を追い出せ」という西洋人の話もよく聞かされた。だがレストランマナーが悪いぐらいはまだ良い。最も評判が悪かったのが当時流行していた海外への売春ツアーだ。

 バブルの日本がやっていた売春ツアーとはどういうものだったかと言うと、企業ぐるみ(例えば農協)で数十人単位でフィリピンや韓国へ出かける。目的は観光ではなく売春だ。昼間は土産物屋などを時間つぶしに一応回るがメインは夜の売春巡りだ。
 今では想像しにくいだろうが当時はこれが当たり前で、フィリピンへ行くと聞くと「ああ女を買いに行くのね」というのが普通の認識だった。海外に出かける男性のマナーは最低で、娼婦でもない初対面の女性に「いくらだ?」と声をかけたというオッサンのエピソードを何回も聞いたことがある。
 この売春ツアーは海外でさんざん批判を浴びて、徐々に下火になって行った。少なくともおおっぴらにしなくなった。私は売春ツアーに行ったことはないが以前グアム旅行した際に、タクシー運転手が日本人と知るとしきりに女を勧めてきたのを覚えている。きっと日本人=売春という名残だったのだろう。
 ちなみに当時の韓国への売春ツアーは社会問題ともなり、それを契機に韓国内で女性の人権を守ろうという運動が起こった。それが後の戦時中の慰安婦問題の追及へとも繋がってゆく。皮肉な事に、ここ近年でよく話題になる慰安婦問題はバブル時代の売春ツアーによる問題認識がスタートだったのだ。
 これらを踏まえて私はもうひとつキーワードを挙げておく。

 昭和のキーワード:「売春ツアーやマナーの悪さで多くの批判を受けていた」

 私があえてこの部分を強調するかというと、最近は減ったようだが「中国人はマナーが悪くて云々」と言うのを過去によく見かけた。それを見るたびに私は「いやウチらも昔はあんなんやったやん」とか「売春ツアーしないだけずっと上品じゃないか」とよく心の中で思った。たかだか数十年しか経ってないのに、これほど自分たちの事を忘れて記憶喪失になるのはヤバイと感じる。

5.バブルでコンプレックは消えたのか?

ここまで色々と語ってきたが、ここでひとつの疑問が生じる。それは「果たして日本人のコンプレックスは消えたのか?」についてだ。これは人によって意見が違うと思う。だが私について言えば「NO」だ。コンプレックスは解消されていない。少なくとも私のコンプレックスは解消されていない。

 80年代の私はセックス・ピストルズにハマっていた。音楽的に好きだったのもあるが、歌謡曲みたいなメロドラマとは違う硬派な歌詞や世界観に憧れた。なかでもピストルズのボディーズの歌詞(和訳)を読んだ時に、なんて知性的な歌詞なんだと感動したのを覚えている。でも感動したと同時に日本との圧倒的な差を感じてショックも受けた。

 なぜならばピストルズに代表される「パンク」は本来「クソガキ」みたいな意味で、だからこそ私はイギリスのクソガキですらこれぐらいに知的なのかとショックを受けた。もちろん荒々しい過激な歌詞だが、それでも私には、それが文明人が持つ本物の苦悩みたいな物の様に思えた。それに比べれば日本の演歌や歌謡曲には惚れた腫れたしか無い。何か文明としての重みが違うように思えたのだ。もう少し言えば当時の日本にはインテリ層でさえ、ピストルズ程度の知的さを持つ歌詞を書けない様に思えた。

 そういえば細野晴臣だったかが、YMOが世界ツアーで海外でヒットした後で「初めて西洋コンプレックスから解放された」と発言したエピソードがある。これは当時の素直なクリエイターの実感だったのだろう。
 また1980にリリースされたYMOの「増殖」のスネークマンショーでもそれを皮肉ったパロディーがある。当時の日本首相が海外政治家と話し合っているシーンだが、英語がわからずに曖昧に「YES」とだけ言う日本首相に対して、外国人達が英語で日本人はバカといった悪口を言ってお互いに談笑するという物だった。それはある意味では当時のリアルな雰囲気である。

 コメディといえば私はモンディパイソンシリーズや「マックス・ヘッドルーム」などのイギリスコメディが大好きだった。当時はなんでこういうイカした番組が日本で作れないんだろうとなんども思っていた。
(まあ今だに作れてない気もするけど・・・)


6.昭和のノスタルジー

ここまで私が体験していた昭和の雰囲気について述べてきた。ここでは最近よく耳にする社会的なニュースについて、昭和の時代はどうだったのかを思い返してみる事にする。

1)在日朝鮮人へのヘイトや差別

在日朝鮮人についての差別だが、実は私は大人になるまでその存在すらも知らなかった。
 私が在日差別や問題を初めて知るのは就職して地方から大阪に来たときだった。初めて大阪にきて就職した際に、同僚に在日の人がいて身分証明書を見せてくれたのを覚えている。また大阪は在日の人が多いので不用意に「朝鮮人」みたいな言葉を使うと喧嘩になるから注意するようにとも教えてくれた。

 これは何を意味するエピソードかというと、そもそも在日朝鮮人やそれに関する問題について私たちはまったく教育をされてないし、知らされてもなかったという事だ。部落差別問題と同じで、私たちは差別が良いか悪いか以前に、その問題そのものをまず知らない。そして教えられるのは、彼らは怖い乱暴な人たちだから注意するようにという点だけだ。

 ただし今みたいに在日特権だ云々といったヘイトは無かったように思う。私たちはただ無知であり、自分らとちょっと違う人達が居るらしい・・・ぐらいにしか思ってなかった。今みたいにあちこちでヘイトが溢れるのは平成になってバブルが崩壊して落ちぶれてゆく中でのことだと思う。

2)セクハラについて

最近たびたびレイプが無罪になるニュースが連続して私もショックを受けた。だが同時にこれらのニュースを見ていて私も昭和の記憶を思い出した。

「薬を飲ませたり、酔い潰れて意識不明の女性にセックスするのはレイプだ」

 今でこそこのように考える人が増えた。だからこそニュースにもなるし怒り狂う人もいる。でも昭和の時代には、そもそも疑問にすら思ってなかったと思う。女性が酔いつぶれたらラッキーと思って持ち帰るし、便利な薬が手に入ったら飲ませれば良いぐらいの雰囲気はあった。
 だから今よりもずっとセクハラ自由な時代だった。しかしそれゆえに二人っきりで食事に出かけるといったハードルも高くて、それゆえにトラブルが今のように目立たなかったのではないかと思う。レイプなどの被害がニュースになるのは、男性のモラルが第一の理由だが、その裏には女性の社会進出が広がったという背景もあるのだろう。

 とは言え、当時のノリは要するに「嫌よ嫌よも好きのうち」(無理やり成功しても実は女は喜んでいる)であって、挿れ者勝ちだと考えられていた。だから今よりももっと野蛮だったのは間違いないと思う。それが少しずつだか世界の風潮もあって変化して、セクハラがいろんな形で問われるようになった。それはとてもゆっくりとした進化だから私も最近になるまで、昭和のもっと野蛮だった時代を忘れていた。

 でも思い出したからこそ分かるのだが、あの麻生大臣や安倍総理あたりのセクハラやレイプに対する鈍さこそが正に昭和だ。なにしろ基本が「嫌よ嫌よも好きのうち」だ。だから後からレイプだと文句を言われるのは「お前のセックステクニックに問題があるんじゃない?」、と考えるぐらいにゲスいレベルだと思う。つまりはレイプとか人権とかいう考えそのものが、頭の中が昭和で止まっているオッサンにはない。だから麻生とか安倍あたりは本気でセクハラの問題を理解してないと思う。

 思い返せば昭和は女性に対しする人権が今よりもはるかに低かった。今にして思えば人格を認めず、まるで言葉を話す家畜とでも考えているかのようなレベルだった。男の行動には口を出せず、家の中のことだけついてのみ考える事が許される、そういう雰囲気があった。そういう意味ではなんだかんだ言って女性の人権や社会進出は遥かに進歩した事については間違いない。
 ただしこの点については皮肉な側面もある。日本が貧しくなって共働きでないと生活できなくなった影響で、妻も仕事をする事が常識のように求められる世の中になった。だけど育児や家事は相変わらず妻の仕事だとされている。結果的に女性はブラック企業で働くような無茶振りを家庭で求められているのではないだろうか?

3)ブラック労働

よくあるハラスメントで年配社員が新人に「俺が若い頃はもっと働いた」という自慢がる。だが実際に彼らの方が現在よりよく働いたのかは、かなり状況がが違うので簡単には比較できない。むしろ私の意見としては現在の方が厳しくて、よりハードに働く事を求められていると思う。

 考えてみると良い。当時はネットも24時間コンビニもなく携帯電話もなかった。つまり夜遅くまで働くのを支援する設備も無ければ、それを監視するようなツールも無かった。だから徹夜するにしても現在よりもっとダラダラとしていた。
 そもそも携帯電話も無いから一歩社外へ出れば自由だった。会社を出れば、遅い時間に呼びつけられたり客からクレームがくることもない。そもそも24時間コンビニもないから深夜まで働く発想もない。ネットが無いからこそ、明日の朝までの資料を作ってメールしとけという無茶振りもない。現在とは圧倒的に密度が違う。

 要するに私達は高度に進化したテクノロジーによって、よりいっそう効率的にこき使われるようになったという事だ。ネットはとても私達を便利にしたが、同時に前より個人に負担がかかる部分もある。何でもネットで検索できる便利な時代だからこそ、企業は社員教育にエネルギーを割かなくなった。昔だとネットが無いのでノウハウは全て手取り足取り社員に教える必要があった。だけど今では各自ネットなどを使って調べるようにと言われる。昔ほど社員教育に時間をかけなくなったのではないだろうか?

 また昔は終身雇用だったから無理をしてもまだ報われる見込みはあった。だが今では無理して鬱になったら即座に解雇されるだけだ。確かに昔の方が上下関係とかハラスメントはあって厳しかったのは確かだ。だけど同時に人を育てるという意識は昔の方が遥かにあったのではなかいと思う。

4)今より自由だった

日本社会は前例主義なので、長く続けば続くほどに規則が追加されていって最後にはわけが分からなくなる。その場限りで追加された多くの規則は、不要になったとしても取り除かれることはない。そもそも規則の必要性や妥当性を検証する者がいないのだ。大抵の事柄は「とりあえず前と同様に処理しとくように」と言われる。ゆえに戦後70年を過ぎて積み重なったスパゲッティコードのような規則は多くの矛盾と無駄を孕んでいる。なので現在に比べれば昭和の時はまだ緩かった。そして自由だったと思う。

 だが昭和が自由だったのは単に時間経過の問題でしかなく、私達がとりわけ劣化したという事でもないだろう。本来は定期的にリファクタリングして規則やしきたりを見直して整理しないといけない。だが日本社会はそれが超下手なのでやれる見込みがない。結果として生産性は時間が経過すればするほどに下がってゆく。

7.最後に

私があえて新元号が発表されるタイミングで昭和の話を書いたのは、今が昔を思い出して昭和や平成を総括するべきだと思うからだ。近年は歴史修正が問題視されるケースが増えたが、近代史どころかちょっと前の昭和ですらも正しく理解されていない気がする。なかでも私はもっとも言いたいのは「日本人はまず謙虚になるべき」という点だ。

 例えばこんなエピソードがよくある。製造業の友人と話をしていると、彼らは今だに中韓を中心とする海外の技術進歩について否定的で国産でないとダメだと言い張る。その態度は私を常に不安にさせる。私が期待するのは「日本凄いから大丈夫」という態度ではなく、「お前の指摘は解っている。俺たちは彼らの事を十分に研究している」という姿勢だ。

 私はもっと日本人は謙虚になって新たな事や世界で起こっている出来事に学ぶべきだと思う。色々と問題あったけど昭和の唯一の美徳は「日本人が謙虚」だったことだと思う。謙虚になってもう一度学びなおそうとするならば、時間は掛かっても新しい道は開けると思う。
 でも今のような「日本サイコー」とか「普通の日本人」とか言っているならば、平成と同じ停滞の時代を続ける事になるだろう。そしてどこかで根本的にクラッシュしてしまうだろう。

<参考リンク>

未来予測2019 〜平成という停滞の終わり〜

Sex Pistols Bodies 和訳

2019年3月17日日曜日

「けものフレンズ」 〜ユートピアの思考実験〜

1.はじめに

このテーマはいつか書こうと思いながらもついつい面倒で放置していた。理由は以降で述べるような「このぼんやりとした感覚」が上手く文章にできるか自信が無かったからだ。
 だけど今日は何だか無気力で何もやる気が起きず、結果としてやる事がない。だから不意にずっと放置していたこのテーマを言葉にしてみようという気になった。
 ちなみにここで示す「けものフレンズ」は、たつき監督が作ったシーズン1であり、シーズン2の「けものフレンズ2」ではない。私は2を見た事ないしまだは見る予定もない。


2.けものフレンズという世界

けものフレンズは私にとって、とても不思議な作品である。一見すると子供向けの愛らしいお話でありながら、同時になにか人間の深淵に近づく真理を含んだ寓話のようにも見える。

 あの作品を寓話のように感じてしまうのは、あるいは私ぐらいなのかもしれない。それに私だって常に寓話としてみているわけじゃない。あのポジティブでポップな世界は眺めているだけで楽しいし癒されもする。
 だけど楽しいと同時に、私は心のどこかで常に「ユートピア」のイメージがキーワードのように繰り返し湧き出てくる。そう、私にはいつもあの作品が「ユートピアを再現しようとする思考実験」のように見えるのだ。

 「ユートピアの思考実験」

 そう感じるのは、おそらくけものフレンズで描かれた世界が、私が『無意識に思い描くユートピア』にとても似ているからなのだろう。
 そしてもうひとつ理由を挙げるならば、あの作品の極端にシンプルな世界観がそう思わせるのだろう。普通の多くのアニメ作品と違って、けものフレンズの背景はとてもシンプルである。まるで神話のように。

<背景>
 ・時代は? =いつか
 ・場所は? =どこか
 ・主人公は? =だれか(記憶喪失)
 ・登場人物は?=いろいろ

 全てがこんなノリで作られている。登場人物のほぼ誰一人を取っても、その背景やドラマみたいなものは見えてこない。もちろん設定が無い訳ではない。ただあっても物語の中でほとんど重要性が無い。
 例えばサブ主役のサーバルだって、たぶんサーバルキャットから進化したフレンズだろうという以外はほとんど背景がない。あったとしても物語に影響しない。

 「もともと世界はそういうもので、そんなものなんだよ。」そんなナレーションが聞こえそうだ。

 これはあたかもムスリムの「インシャラー(神の御心のままに)」とか、仏教徒の「諸行無常」にも似ている。全ての物は『ただそこにある』それに理由は必要ない。理由はあっても良いし無くても良いのだ。そう言われているような気分になる。

 またそこに暮らすフレンズ達の行動も極めてシンプルだ。彼らはただ彼らの思うがままに生きている。一日中遊んでたり、日向ぼっこしてたりと自由で気ままだ。誰にも支配されないし争いもない。でもだからと言って怠けている訳でもない。好奇心や向上心だってある。例えば喫茶店をやりたい行動するフレンズや、もっと上手に歌を歌いたいと練習するフレンズもいる。

 そう、この世界はずっとぼんやりと心の何処かで想像していた「ユートピア」そのものなのだ。


3.ユートピアの思考実験

私はあのアニメを見ながら「ああ、そうか、こういうのがユートピアなのか」とよく考えた。そしてさらに、
 ・ユートピアとは何か?
 ・なにがユートピアの条件なのか?
といった問いが無意識的に湧いてくる。例えば次のようなものだ。

1)ユートピアとは

けものフレンズ的に言えば「生存を脅かされず自由に生きる」となるだろう。フレンズはいつでも自由であり、創造性や好奇心を持ち続けて生活している。

2)ユートピアの条件

(1)生存の条件
 ジャパリパークでは気候が完全にコントロールされており、またどこからか出てくる謎の食料「じゃぱりマン」のおかげで飢える事がない。とてもシンプルだけど生存に最低限必要なものがシステムとして提供されている。

(2)ユニークな存在
 ジャパリパークには同じ種類のフレンズは存在しない。だから全員がそれぞれ別の生き物であり、ゆえに全員が個性的でユニークな存在となっている。このために優劣とか上下という概念が存在しない。なのでフレンズ達はお互いに「君は〇〇が得意なフレンズなんだね」と言った感じで超ポジティブだ。
 世界の認識を否定からじゃなく肯定から始める。誰もが異なっている世界、ゆえに誰もが何か独自の物を持っていて尊敬される世界。このポジティブな世界観こそが、もっともけものフレンズらしさだと思う。

(3)距離がある(なわばりの広大さ)
 フレンズどうしが争わないで済む理由のひとつはジャパリパーク(環境)の広大さである。フレンズは人間のように多くなく、また密集して暮らす習慣も持たない。ゆえにそれぞれのフレンズは十分に自由に行動できる縄張りを持って暮らしている。これはシンプルだけど案外に重要だと私は思う。

 もしも人類が今の1/1000か1/万として、お隣さんに会うのに数キロ出かけるとしたら?

 そんな想像をしたことがある。もしそうならば、もっと皆んなと仲良くなれたかもしれない。たまにしか会えない人と争いたいとは誰も思わないだろう。むしろ人恋しくて誰かに会えばハッピーで優しくしたくなると思う。ジャパリパークにはそういったお互いを尊重するだけの十分なスペースがある。

(4)進歩しない世界
 フレンズ達はそれぞれ自由に暮らしていて、生活そのものを遊びのように楽しんでいる。なので生産性をあげようとか、生活を改善しようとかほとんど考えていない。なぜならば水を飲みに数キロ出かけるとしても、その行為そのものを楽しむからだ。あたかも散歩と同じように。
 つまり彼らは「カイゼン(改善)」から解放された者達だと見ることもできる・・・これは超重要かも。
 本当の所を言えば我々は別に「改善」や「進歩」なんかする必要はない。しなくてもいいのだ。

 よくある熱血アニメや物語で「人類の絶え間ない努力・・・」とかあるけど、それはやりたい人が勝手にやればいいだけだ。別にしないといけないわけじゃない。ありのままの世界を、ありのままに受け入れる生き方だってある。

 これは別に詭弁ではない。旧約聖書に描かれた「エデン(楽園)」はまさにそういう場所だった。そして色々な宗教や神話に描かれる「ヘブン(天国)」の様な場所も概ね似たようなものだ。
 「進歩しない世界」という言い方はていないが、同じようなモチーフは多くの物語でも何度も繰り返し利用されている。そして私の知る限りでは、これ以外のヘブンは存在しない。

 ただ逆にこの「進歩しない世界」はデストピアとしても多くの物語に描かれている。究極の世界とは、究極であるがゆえに進歩を止めた世界でもある。そこをどう受け止めるかは各々によるのだろう。


4.ユートピアの影

私がけものフレンズを優れた作品とし感心する理由のひとつは「セルリアン」という存在だ。セルリアンはまさにけものフレンズの神話的な世界にリアリティを与える重要な要素となっている。
 物語ではセルリアンは謎で意味が解らないものとして描かれている。でも私にはセルリアンとは「悪意」の象徴のように思える。

 光あれば影が必ず生まれる。ホワイトホールはブラックホールから形作られる。それと同様にジャパリパークという光が溢れる場所から追い出された「無意識的な悪意」がセルリアンであって、それは定期的に現れて住人たちを脅かす。
 だがセルリアン自体も「ただあるがままに存在する物」であって、本質的に「悪」の存在ではない。彼らは恨みをもってフレンズを襲うのではなく、ただそう定められているだけなのだ。セルリアンはそういう謎の存在として実に上手く描かれている。

 セルリアンの存在は必然である。例えどのようなユートピアを作り出そうが必ず存在する。そしてそれに対処する方法は、きっと恐れずに立ち向かうことなのだろう。ふだんはバラバラで気ままに暮らしているフレンズが、巨大セルリアンの登場で一致団結して立ち向かう。あれこそが理想的な対応なのだと思う。


5.おわりに
 色々と述べたけど、私はこの作品が細かい理屈など抜きに大好きだ。だが同時に、見るたびに書いてきた様な「ユートピア」という物について考えさられる。

 果たしてたつき監督はこれを意図して作ったのだろうか?

 もしもそうなら想像を絶する天才だと思う。だが別にそうであってもなくてもかまわない。生まれたのが偶然だろうがなんであろうが、この作品の素晴らしさは変わらない。

 そして、だからこそ私はシーズン2「けものフレンズ2」を見る気になれないでいる。ここまで私が書いてきたような事がシーズン2で描かれているはずはないからだ。
 きっとシーズン2は「可愛いフレンズが登場して、みんな仲良し!」みたいな作品になっているのではないかと想像する・・・。だがそれは別に悪いわけでもないだろう。でもそれは私が続きを見たかった物語ではない。私が見たかったのは、あくまでも「ユートピアの夢」のその続きなのだから。

<p.s.>

ユートピアの条件に対してもうひとつ加えるならば。「男が存在しない」という部分も挙げられる。だが誤解しないで欲しいのは、これは別に男性が野蛮で凶暴だとかいうような話じゃない。
 そうではなくて、フレンズは性別を超えた存在だという意味である。つまりは天使のような存在だ。
 私達は生まれ落ちた直後から、性別というステレオタイプにずっと苦しめられながら成長する。思うがままに行きたくても「男らしくあれ」「女らしくあれ」と言ったステレオタイプに妨害されて自由に生きられれない。
 だがフレンズにはそんなステレオタイプは存在せず、ただそれぞれが自分の欲するままに行動している。ゆえにジャパリパークはジェンダーにとってのユートピアでもある。


<参考リンク>

けものフレンズ (アニメ)